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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

厚伐りワシントン

コラム

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン幼少期の有名な逸話といえば、「桜の枝を折ってしまったが、素直に謝ったら許された」というものである。いつどこで習ったのだかわからないが、僕はどこかで聴いてなんとなくそう記憶していた。桜の木の枝を持ったジョージ少年が、父親に謝っている絵を見たような記憶もある。

だが記憶とはおそろしいものだ。自身の記憶はいとも簡単に美化されがちなものだが、まさか他人の記憶すら自動的に美化してしまう傾向があるとまでは思わなかった。このジョージ少年のエピソード、僕は大きなところで、致命的な勘違いをしていたらしい。なぜこの逸話について、今さら調べてみようと思ったのかはわからない。最初の記憶のままで、特に違和感のある話でもない。深イイレバーを傾けても、ガッテンボタンを連打してもいっこうに構わない。壊れるほどに。

しかし僕はおそらく以前から、なんとなくこう思っていたんだと思う。「この話、アメリカにしてはスケールが小さすぎるんじゃないか」と。しかもその創始者の逸話である。もっと派手な何かが隠されているに違いない。そしてそのスケール感に伴う、ある種のグロテスクさが。アメリカ版『ゴジラ』をあんな巨大トカゲみたいにしてしまう国ならではの、どこか血生臭いリアリティが。

そう思って図書館へ行き、わざわざワシントンの伝記を借りてみた。『子どもの伝記全集 ワシントン』。明らかにひらがなまみれで、題名どおり子供向け丸出しの書物だが、そもそも「伝記」というジャンル自体、大人向けではないらしい。他に選択肢がない。

いざ伝記を開いてみる。もちろん、全部読破しようなんて気はさらさらない。例のエピソード部分だけ読んで確認できればいいわけで、だとすれば目次を見て該当しそうな箇所を探してそこだけ読むのが早い。大人らしくあざとい読み方に嫌気が差しつつ、目次に並んでいる各章のタイトルを眺めてみる。《小包の中の聖書》《おにいさんといっしょ》《アメリカ独立のたたかい》等々、それらしい言葉が散りばめられている。

しかしどういうわけか、こちらが期待していたような《桜の思い出》的な、《父に許された少年》的なタイトルがどこにも見当たらない。5章目に《おとうさんの死》とあるから、お父さんに許されるには、それより前に例の桜エピソードが記されてあるはずである。まさかあそこまで有名な逸話が本人の伝記に掲載されていないはずはないし、章のタイトルを任されないはずもない。もしかして第3章《レスリングに勝って》あたりに紛れ込んでいるのか? あれはもしかして桜とのレスリングという何かしらの「寓話」だったのか? ジョージ少年は巧みに回り込んで桜のバックを取り、タンクトップから乳首を巧妙にはみ出させつつ、よくわからないがグレコローマンスタイルで、敵=桜にローリングを仕掛けようとした結果として枝を折ってしまったというのか? 

いやそんなはずはない。タンクトップを脱ぎ捨てて気を取りなおし、改めて候補となる1〜4章のタイトルを眺めてみる。タンクトップなど1着も持っていない。目次を眺めてみる。すると消去法により、ひとつの選択肢が浮かび上がる。だがそのタイトルが、あの純朴な少年のエピソードを指しているとは信じたくない。しかしあの逸話にふさわしいタイトルが《小包の中の聖書》でも《レスリングに勝って》でも《おにいさんといっしょ》でもない以上、残された選択肢は第2章に位置するたったひとつ、これしかない。

《おののためしぎり》

早くも嫌な予感しかしない。少年の名はジェイソンで、事件が起こったのはカジュアルフライデーに違いない。カジュアルは関係ないが斧を持っているとすればフォーマルとも言い難い。あるいは『罪と罰』のラスコーリニコフか。子供向け書籍のためひらがなで書かれているから一瞬ピンと来ないが、むしろひらがなに開くことで、事件の残忍さを緩和しようという筆者の意図すら勝手に感じてしまいそうになる。「ためしぎり」と言えば日本では「辻斬り」である。とはいえ主人公は後に大統領になる少年である。そんな物騒なことをするはずがない。

しかし本当に斧なのだろうか。例の心温まる逸話は、桜の木の枝を素手でポキッと折ってしまったという話ではなかったのか? 期待と不安を胸に、その章の1行目を読んでみる。

《ジョージは、かじ屋さんのしごとをじっとみています。》

もう怖い。だいぶ怖い。まるで猟奇殺人犯が出てくる映画の、1コマ目のカメラワークじゃないか。そしてその先には、武器に興味のありすぎるジョージ少年のこんな台詞が登場する。

《「おじさん、それ、いいおのですね。」》 

なんということもない台詞である。この少年には、特段悪気はないはずだ。それはもちろんわかってる。しかしそうとわかってはいても、斧は斧だ。ニヤッと片側だけ口角を上げた少年の表情が浮かんでしまう。「いいおの」というフレーズを、「よく人が斬れそうないい斧」と勝手に脳内補完してしまうのも無理はない。さらにジョージは言う。少年の好奇心はとどまるところを知らない。

《「ぼく、そのおのほしいな。」
 ジョージはいちばんいいたいことをいいました。》

なんて素直な台詞だろう。そして素直であるというのは、なんとおそろしいものか。しかも「斧が欲しい」というのが、ジョージ少年の「いちばんいいたいこと」なのである。この少年はドラゴンボールを7つ集めたら、神龍に「いい斧をください」と言うのだ。ああ、末おそろしい将来の大統領。

そしてジョージは、「ねえ、おねがい。かしてください。」と懇願した結果、根負けした鍛冶屋に斧を貸りることに成功。《ジョージはふと、その木をきろうと思いました。おののためしぎりです。》と、ついに父が大事に育てていた桜の木に襲いかかることになる。そのクライマックス部分の描写が秀逸なので、引用してみる。

《ジョージは、足をふんばって身がまえ、おのをふりあげました。「エイッ。」きあいをかけてうちおろします。みごとなきれあじ! ねもとちかくから、スパリときれて、サクラの木はたおれました。》

「みごとなきれあじ!」という一文がどうにもたまらない。この少年は、完全に快楽で斧を振り下ろしている! そしてジョージ少年は、僕の記憶していたように、桜の「枝」を「素手」でポキリと「折った」のでは全然なく、桜の「幹」を根元から、「斧」で、スパリと「伐り倒した」のであった。期待通りのアメリカンなスケール感と残虐性である。アメリカ版「与作」である。

しかし樹齢数十年クラスの桜の木を根元から伐り倒したとなると、むしろその行為を許した父親の器のデカさというか、常識的な許容範囲を遥かに越えた「甘やかし」が気になってくる。ジョージ少年のやっていることはもはや「山賊」レベルであって、明らかにいたずらの範疇を大きく越えている。ここまでのことをやらかした少年を、ちょっと謝ったくらいですっかり許してしまって良いものだろうか。その後のジョージ少年は、大いなる権力を手に入れてゆく過程で、この暴力性をきちんとコントロールすることができていたのだろうか。過去形の心配ほど意味のないものはないが、そんないらぬ心配をもしたくなるような逸話であった。

ちなみにこのエピソード全体が、ジョージの死後、とある牧師が子供たちを教育するために創作したつくり話だという説もある。だがそれにしてもどうせ話を創るなら、なぜ枝を折った程度でなく、わざわざこんな猟奇性を臭わせる話にしたのかという疑問が残る。ジョージ少年は木を伐るときに「ヘイヘイホー」と言っただろうか。

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