ご承知の通り、クマムシのウォームな歌が流行している。
だが我々は忘れてはならない。
毒蝮三太夫の中にも「クマムシ」は居るということを。
弩クマムシ三太夫。
弩級のクマムシということは、当然ノーマルのクマムシよりも位が高いということになる。
毒入りのスープをあなたに。あったかいんだから。
どんなにあったかくても毒入りというこのツンデレ感。
むしろあっためた方が「効き」が良い可能性。
「クソババア!」というお馴染みのフレーズ(=スープ)をあっためると、液中の有毒物質がグツグツと煮詰められ、「このくたばり損ない!」という究極の罵言へと進化する。
もはやゾンビ呼ばわり。
だがそもそも、「特別なスープ」とは「毒入りのスープ」のことなのかもしれない。
逆に言えば、「毒入りのスープ」が「特別なスープ」でないわけがない。
「毒入りのスープ」が「普通のスープ」になったら、人類が絶滅する。
そしてここで我々が改めて考えなければならないのは、「毒蝮三太夫」というネーミング自体が、いわゆる「二重否定」なのではないかということだ。
そもそも蝮は毒を持っている。
だから通常、わざわざ「毒蝮」とは言わない。
「毒蛇」とは言うが「毒蝮」とは言わない。
なぜならば「蝮」という言葉の中には、すでに毒を持っているという要素が含まれているから。
つまり「毒蝮」という言葉の中には、毒が二つ存在している。
字面どおり「毒」という文字と、目には見えないが「蝮」という言葉の奥に内在する毒と。
「蝮」という種族をあえて意味的に「毒蛇(=毒×蛇)」と言い表すなら、
毒蝮=毒×(毒×蛇)という公式が成立する。
毒に毒が掛かっている。
「毒をもって毒を制す」という言葉がある。
毒蛇に咬まれた際には、その毒蛇と同種の毒が入った血清が有効だ。
つまりはマイナスとマイナスの掛け算がプラスに転化するように、ここにはどうやら二重否定の関係がある。
日本語では、「二重否定」は「強い肯定」を意味する場合がある。
「死なない人間などいない」と言えば、「人はいずれみな死ぬ」という事実を強く言っていることになる。
つまり毒×毒はプラスに違いない。
ならばその掛け算から生まれるものは何か。
毒×毒=愛
だと言い切ってみようか。
「クソババア、長生きしろよ!」
これが毒蝮流の特別なスープである。
飲むと寿命が延びるという。