泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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噂の新年

数年前からあけるあけるとは聞いていたが、正直ここまであけるとは思わなかった。これもまたどうせ「あけるあける詐欺」だとたかをくくっていた。何がといえば年が、である。みな年は勝手にあけると思っている節があるが、それは大きな間違いである。毎年のようにあけているのは結果論に過ぎない。

あけないでもあく不思議なドアが発明されて以降、何事も自動的にあくと思っている不届き者は多い。だがそれは人類の思い上がりと言うほかない。そのようにロボット社会に飲み込まれ自動洗浄便座に飼い慣らされた人間たちが、恬然と便座の蓋の上に尻丸出しで腰かけ、糞尿を流し忘れるのだ。本来ドアもチャックも便座の蓋も人間が自らの手であけなければあくことはなく、年もまた同じことだ。

「どうやらあけるらしいよ」「いやあけないって聞いたよ」「世間はあけても俺はあけるもんか」「あけたらあけたでいっそ十年分くらいまとめてあけてくれたほうが」「そしたら俺もう110歳だよ」

年末に聞かれた年あけに関する噂は、実にまちまちであった。もしあけなかった場合に備えて、年末のアメ横ではヘチマがバカ売れした。何に使うかはわからない。あけなかった場合は年越しそばを毎日食べ続けなければならないから、そばも大量に売れた。世に言う「ソバノミクス」である。

紅白歌合戦』の視聴率が毎年べらぼうに高いのも、年が「あけるあけない」のスリルに起因していると言われている。あけると決まっていたらおそらく誰も観ない。あけなかったら北島三郎EXILEのHIROも大島優子も引退だの勇退だの卒業だのしなかっただろう。しかしこれも何かの縁。この三人でスーパーグループを結成することをお勧めする。

お勧めしてる場合ではない。そもそも、年はずっと前からあけていた可能性だって否定できないのである。ちゃんとあけていたのになぜか開店休業扱いで、町の人からは「あの店はいつやってるんだかわからない」とか言われ、「あそこはご主人が痴漢で捕まって閉店したらしいよ」などと良からぬ噂まで立てられる。新年からしてみれば甚だ大迷惑である。あけているのにあけていないと言われるなど死刑宣告に等しい。

だから我々は、たとえ年があけていないように思えても、あけていることにしようじゃあないか。新年という名の店主が痴漢で捕まったとか、嫁子供に逃げられて酒浸りだとか噂するのはやめて、たとえあけているところを見たことがなかったとしても、あの店はあけているということでいいじゃないかと。

そんな人々の優しさこそが年をあけさせるのだということを、完全に死んだ目でいま僕はここに書き留めている。あけましておめでとうございます。

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