泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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こんな猪瀬知事なら許せる

猪瀬知事が辞職を表明した。我々にそこから学べることがあるとしたら、ではどんな猪瀬知事だったら許されたのかということだ。歴史のifを考えることは、常に新たな教訓をもたらす。もたらさなかったら、教訓だと思い込めばいい。どうせ役に立たない。

許されるにはとにかく、「可愛気」を見せることだ。

まずは五千万円の問題を初めてツッコまれたところで「じぇじぇじぇ!」とキュートなリアクションをカマし、「自称」借りた金を競馬で当てるなどして一億円に増やして「倍返し」しつつ、膝を笑わせながらの大和田式土下座を披露。カバンに五千万円大のサムシングが入りきらなかった場面では念のためもう一度「じぇじぇじぇ!」を重ね、記者に「いつ辞めるの?」と訊かれて「今でしょ!」と答えるというサービス精神満点の「お・も・て・な・し」を見せつけてやれば、さすがに国民も流行の風に乗って許してしまったかもしれない。もしこれができたら、可愛気以外なにもない恐るべき可愛気モンスターである。

よく見ればあのバタフライレベルの目の泳ぎ方だって、一種の可愛気と言えるかもしれない。そして「カバンにお金が入らない」という究極の萌えポイントを見せつけられた時点で、猪瀬知事はイノセントなゆるキャラ「いのっせー」へと昇格を果たした。「容れ物に中身が入らない」という萌えパターンの最高到達点には、依然として「荒井注カラオケボックス」が燦然と輝いているが、いよいよ新たなる「はみだしチャンピオン」(沖田浩之の名曲)の誕生である。

そのうえ「チャックの開いたカバンから五千万円をチラ見せしながら歩いていた」というのが万が一事実であるのなら、アタッシュケースで大金を持ち歩いていたことで大衆から愛された、あの城南電機の宮路社長以上の可愛気を感じざるを得ない。

だが本当のところは、あそこでワンサイズ大きな鞄をちゃんと用意してきて見事に収めて見せる政治家と、正直にいつもの鞄を出して収まらない政治家がいるというだけの違いなのかもしれない。だとしたら、素直にコントに巻き込まれてしまう後者のほうが、まだ可愛気があるということにはならないか。ならないだろうな。

「大は小を兼ねる」――猪瀬氏にこの諺を、大きなカバンに入れて贈りたい。

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