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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

『半沢直樹』という題名の「何も言ってなさ」

コラム

ドラマに限らず、何かに名称をつける際には、そこに本編・本体の内容を集約しなければならない。ドラマや映画であればその設定と雰囲気を、商品であればその効果効能を、企画書であればその客層に響くキーワードとコンセプトを、的確に言い表している必要がある。誰だそんなことを言ったのは。

誰に習うでもなく、いつの間にかそう思われている節があるが、そんなルールなど本当はどこにもない。本来、名称に内容の説明責任はない。それは名称をつける際の、ひとつの型でしかない。

半沢直樹』という大ヒットドラマの題名を改めて考えるとき、その「何も言ってなさ」に驚く。それは単なる人名であり、その人名にすら何らかの方向性を指し示す臭いがほとんどしない。実に無味無臭なタイトルであり、内容的にはほぼ無果汁である。そこから辛うじて読み取れる情報は、「明確な男主人公がひとりいる」というありがちな事実と、「その標準的な名前からすると、主人公は奇人変人ではなさそうだ」という予感くらいであり、ドラマの題名としては恐ろしく情報量が少ない。

この「主人公名の投げっぱなし」という形は、実のところ大河ドラマに多く見られる題名のパターン(『武田信玄』『毛利元就』等)なのだが、そこにはもちろん主人公の「歴史上の人物」としてのネームバリューを生かすという意図がある。しかし『半沢直樹』は、その配役と物語構造においては大河ドラマ的な箇所も少なくない作品だが、主人公はもちろん歴史上の人物などではなく、ドラマ開始時点では無名の人物であるから、そういった効果は望むべくもない。

あるいはこれを、制作者サイドの「無策で投げやりな思いつき」と見る向きもあるかもしれない。だがそれが当たらないというのは、原作小説の題名を見ればわかる。『半沢直樹』の原作となったのは、『オレたちバブル入行組』『オレたち花のバブル組』という比較的説明的な題名を持つ2作(特に前者は職種が特定できる題名)の小説であり、それをドラマ化に際してわざわざシンプルな個人名に置き換えたということには、明らかに意図が感じられる。

そんな『半沢直樹』の「何も言ってなさ」が群を抜いているというのは、他のドラマタイトルと比較してみると浮き彫りになる。

たとえば同時期にヒットしたNHK連続テレビ小説あまちゃん』は、「あま」という職業名が内容を説明している。ここで「あま」をひらがなにすることにより、「尼」だか「海女」だかわからなくなり、単に「登場人物の名字から来るあだ名」という可能性も浮上(実際、主人公の名字は「天野」)してくるという練られたタイトルだが、基本的には設定をシンプルに指し示す命名法である。

だがそんな『あまちゃん』も、ドラマの題名としてはむしろ説明的でない方の部類で、今クールのドラマで言えば、『ミス・パイロット』『独身貴族』『海の上の診療所』『陰陽屋へようこそ』『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』など、職名をはじめとする主人公の「属性」をあからさまに表明することで、内容を手っ取り早く説明するタイトルが非常に多い。「ダンダリン」なんていう、一見わけのわからない言葉も見られるが、正式名称はちゃんと『ダンダリン 労働基準監督官』となっており、そこには「何も言ってなさ」を恐れた跡がきっちり見える。

念のため言っておくと、そういう「内容の説明責任を律儀に果たす」ような名前のつけ方を単純に否定するつもりはない。実際、中にはヒットしている作品もある。ただ、そういう名づけ方はひとつの形に過ぎず、より自由な名称のつけ方があるということを知っておく必要があるのではないか、と。

さらに過去のヒット作を紐解いてみると、それぞれの題名とこの「内容説明責任」との距離の取り方が様々で面白い。

たとえば『踊る大捜査線』という題名は、「捜査」という言葉が職業を特定するが、「刑事」ほどには直接的でない言葉を選ぼうという意図が感じられる。そこにはさらに、「大捜査線」という言葉から、「個人ではなく集団の人間関係を描いた物語である」という意図をも読み取れるかもしれない。

一方で、『男女7人夏物語』の開き直ったような内容説明っぷりも潔くて興味深い。プレーンに設定をポンと置くだけの味気ないタイトル。だがこれはむしろ、「題名には内容説明責任がある」というセオリーをあえて愚直になぞってみせることで、パロディ化していると見るべきだろう。

しかしいずれにしろ、『半沢直樹』ほどに「何も言ってない題名」を見つけるのは難しい。これだけ何も言ってないのは夏のJ-WALK以来である。最も「何も言ってない」部類に入るあの『古畑任三郎』ですら、1stシーズンでは『警部補 古畑任三郎』と頭に役職名が記載されていたのである(その後、役職名が外れて単に『古畑任三郎』になった)。

そんな中、「何も言ってない題名のドラマ」と言われて、パッと思い当たるのはテレビドラマ最高視聴率記録を誇る『おしん』(その名から舞台が現代ではなく、女の子が主人公だというのが伝わる程度)だというのも凄いが、逆に題名が何も言ってなさすぎて、世に知られぬまま終わった作品も数多あるのではないかと想像するのは、むしろ自然なことだろう。

題名で内容を説明しないということには、「視聴者の想像の余地=期待が大きくなる」「作品及び主人公がより謎めいた存在として認知される」というメリットもあれば、「なんだかわからぬままにスルーされる」という致命的なデメリットもある。非常にハイリスク・ハイリターンな戦略であり、内容によほどの自信がなければ選び取れぬ方法かもしれない。

そういう意味では、やはり「題名など関係なく内容こそが重要である」とも言えるし、その内容に対する自信が強気な題名に繋がるとすれば、「題名が内容のクオリティを言い表している」と言うこともできる。もしくは内容云々とは関係なく、説明的な題名が溢れかえっている今だからこそ、逆に何も説明しない題名をつけることで衆目を集めることができた、という状況証拠からの分析も、説得力を持つかもしれない。

それに比べて、その後釜に座った『安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜』というタイトルの異様な説明臭さは、どうにも臆病に見えてならない。伝えたい情報よりも、伝わってほしくない雰囲気の方が伝わってしまうというのは、よくあることだ。

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