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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

鶴瓶の倍返し

コラム

大ヒットドラマ『半沢直樹』で毎度「倍返し」を決めているのは誰か? もちろん半沢直樹だが、実のところ答えはもう一つある。その昔アフロヘアーで毛髪体積を数倍にふくらましていた男、笑福亭鶴瓶である。すでに伝説となっている『FNS27時間テレビ』での「ポロリ事件」も、倍返しといえばある種の倍返しである。さすが半沢直樹の父である。

このドラマで、鶴瓶はとにかく死ぬ。いやただ死ぬだけでなく、オールタイム死に続ける。もちろん事実上そんなこと(何度も死ぬこと)は不可能だが、少なくとも見かけ上はそうなっている。鶴瓶はたしかに一度しか死んでいないが、その死の場面は回想シーンとして何度も何度も繰り返される。倍返しどころではなく、十倍返しレベルの頻度である。

それは半沢直樹の父役である鶴瓶自死がこの物語の契機になっているからであり、主人公は鶴瓶の死によって銀行員を志す。だから主人公が初心に返るたび、鶴瓶は死ぬ。007は二度死ぬ鶴瓶は何度でも死ぬ。半沢は悔しいとき、くじけそうなとき、怒りに震えるとき、頻繁に初心を思い起こすが、思い出の中の鶴瓶は結局のところいつも死ぬ。

つまり鶴瓶は不死身だということだ。何度も死ぬということは生きているのと同じである。実際、鶴瓶はそうやって物語全体の中心に居続け、ストーリーの核を支え続ける。主人公の亡き父への想いが、物語の強度になっている。物語の核になり得るものは主人公の動機である。主人公はもちろんその動機を生きている限り覚えているが、視聴者はすぐに忘れる。しょせんは他人事である。だから視聴者はその動機を毎度思い出さないと、主人公の気持ちに近づけない。ゆえに鶴瓶はすぐ死ぬ。主人公と視聴者の感情を結びつけるために死ぬ。

そんな鶴瓶が先日の第8話で、ついに動画から静止画へとグレードダウンした。これまでのような回想シーンではなく、背景に飾られた遺影としての出演。さすがに同じ回想シーンを使いすぎたと気づいたのか。

そしてこの回には鶴瓶が生前に開発したネジが頻繁に登場し、主人公が初心に返るスイッチの役割を果たしていた。つまりこれまで回想シーンが担っていた役割を、ネジの話と遺影で分担するという置き換えが行われていた。「回想=ネジ+遺影」という図式で想いの表現量は釣り合うという算段。

しかしその移行がスムーズかといえば全然スムーズではなく、いかにも記号として配置されている感じが拭えない。だがそれはそれでいいのだろう。記号とはつまりあざとさでありわかりやすさであるから。もちろんわかりやすさと面白さは違うが、それはまた別の話だ。

ちなみに鶴瓶は、この作品でもう一つ重大な倍返しを決めている。息子の出演である。息子といっても半沢直樹のことではない。役柄上の息子ではなく、実の息子である。鶴瓶が何度も死んでいるうちに、息子が伊勢島ホテルの社長役で出てきた。こちらの役は今のところ生きている。

息子は「駿河太郎」という名の役者である。一見亀田ファミリーのような顔をしているが紛うかたなき鶴瓶ファミリーだ。鶴瓶の本名は「駿河学」であり、二人して駿台予備学校の入学願書記名欄に記入例として書いてありそうな名前だが、親子出演というのも見事な倍返しである。何をどこに返しているのかは知らないが倍であることは確かだ。

今はただ、表面に「鶴瓶R.I.P.」、裏面に「鶴瓶 is not dead」とプリントしたTシャツを制作して着たい。生きながら死に、死にながら生きることこそ真の倍返しである。Tシャツができたころにはドラマもブームもすっかり終わり、長袖の季節になっていることだろう。

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