泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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『家族ゲーム』/本間洋平

今やっている櫻井翔版ドラマ『家族ゲーム』が、あまりに素晴らしい。今のところ(5話目終了時点)平均視聴率が12%程度であることが不思議なほどだが、あの展開についていけるほどの積極的姿勢がテレビ視聴者にないというのも、わからないではない。その原作本が本作である。

だがそもそも文庫本で180ページほどの作品であり、内容も方向性も、新ドラマ版とは基本的に別物と考えた方がいい。両者に共通する部分は骨格以外にはほとんど何もなく、その骨格さえ大幅に変えられている部分もある。1981年の作品なので、今回のドラマ版では鍵を握るインターネットという手段はもちろん登場しないし、小説版の父親は小さな自動車整備工場の主であって、新ドラマ版のようなハイソサイエティに生きる人種ではない。

そして新ドラマ版との最大の違いは、この小説にミステリー的な要素がほぼ存在しないということだろう。本作は文芸誌『すばる』が主催するすばる文学賞受賞作、つまりは純文学作品である。いくらかエンタメ寄りであるとはいえ、やはり作品の根底には、プロットよりも文章そのものの味を重視する姿勢が見える。もちろんそれが悪いというわけではなく、これはこれで魅力的であり、ドラマとはまったく別の滋味がある。

家族ゲーム』は過去に長渕剛主演でドラマ化、松田優作主演で映画化されているが、この原作に最も忠実なのは、文学的な空気を森田芳光監督が見事に映像化してみせた映画版だろう。小説には新ドラマ版のような展開のひねりはほとんどなく、主人公である家庭教師・吉本の奇抜な教育アイデアもない。ただし、作品の根底に流れる不穏な空気は、間違いなく新ドラマ版にも引き継がれており、たとえば弟の茂之が俯きながらニヤつく表情や、吉本が地球儀をいじりながら話す奇癖などのディテールは、かなり忠実に原作をなぞっている。これは新ドラマ版のスタッフが、プロットよりもディテールのほうが作品の根底にあるという感覚を正しく持っているということを証明している。「作品の魂は細部に宿る」とよく言われるが、まさにそういった重要な細部が本作には描き込まれている。新ドラマ版が「どこを拾ってどこを捨てたのか」を見極めながら読み進めてみるのも面白い。

一方で、本作は著者にとってデビュー作であるがゆえに(そしてその後名前を聞かない)、描写の過不足や視点移動の不明瞭な箇所などといった目につく粗はけっして少なくない。ただその粗さが結果論として一筋縄でいかない雰囲気を生み出しているのも事実で、いわば多分に不穏な空気を行間に孕んだ作品であると言える。そしてその豊かな行間こそが、様々な作り手のドラマ化願望をかき立てたのはよくわかる。

この原作をベースに新ドラマ版を考えてみると、「小説の行間に漂う不穏な『空気』を具体的な『言動』として顕在化させた結果として今回のドラマ版がある」ということになるだろうか。原作に忠実すぎても、そこから離れすぎてもつまらなくなるドラマや映画が多い中、ここまで映像化作品と毎度幸福な関係を築けている原作も珍しい。

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