泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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深よさそうで深よくない少し浅いいかと思いきやそうでもない話

書店でナンパされたのはさすがに初めてだ。

文庫本を立ち読みしていると、右サイドから明らかにこちら向きに声がする。

「すいません。オススメの本とか、教えてもらえませんか?」

こちらは花粉症対策でがっつりワイヤー入りマスクをしているから話しかけられるはずがない。しかも単なるマスクだけでなくそこにはワイヤーという、いわば鎖かたびら的な、もはや防具と言って差し支えない金属までまとっているのだから。そういうおごり高ぶりがこちらサイドにあったことは素直に認めていきたい。

右を向くと明らかに若い男がいた。その奥にもこちらを観ている青年。言葉を発したのは手前の青年で、陣内智則が紀香にもう三回くらいフラれたような顔をしている。奥の青年は、地方局の台風レポートで傘をおちょこにしている新米アナウンサーのような顔だ。こうなると途端にナンパでもなんでもなく、むしろ硬派の部類に入る。陣内本人は実績からして軟派だが、顔が似ているからといって勝手に軟らかくしてはいけない。状況的には明らかに硬派である。

二人ともなぜか輝かしい目でこちらを真っ直ぐに見ている。スライダーでもツーシームでもなく紛れもない真っ直ぐな視線。その目線のど直球さ加減で、男が男を欲するアプローチである可能性は見事に消え去った。代わりに宗教勧誘系である可能性が急浮上するが、よく見るとそこまで無回転な視線ではない。それなりに動揺の色は見て取れる。つまり、目の中にちゃんと迷いがある。

ちなみに声を掛けられた場所は岩波文庫の棚の前である。これ以上硬派な場所が世の中にあるだろうか。

「いやあの、友達が入院してまして、何か本をプレゼントしてあげようと思って」

まずい。瞬時に心の奥の、ありもしない「深いいレバー」が入る。顎がしゃくれそうになるのを必死に抑えつつ、心の中で「素敵やん」と呟く。「自分ら、めっちゃ素敵やん!」

話を聞くと、二人は就職活動中の大学生で、入院している友人に本を贈りたいのだが、どんな本を贈ればいいのかさっぱりわからなくて困っているという。しかし店内には溢れんばかりの人がおり、こちとらマスクでがっつり顔面を覆う怪しい佇まいであるうえ、ここは岩波文庫の前である。なぜ自分が審査員に選ばれたのかがさっぱりわからない。あるいはなぎらー的ポジションとしてのお声がかりなのか。プロの審査員としてのなぎら健壱。ポジションとしての憧れは少なからずあるものの、ルックス的にはまったく似た覚えがないのだが。もちろんテンガロンってもいない。

しかし突如、ああそういうことかとひとり合点し、「そかそか。お友達はこういう岩波文庫的な、わりと文学的なやつとかが好きな人なんだね? もはや文豪だ」と言ってみた。

二人は見るからにポカンとしている。僕たちスワヒリ語なら順調にわかりません、というような顔。こちらはもちろん日本語で言っている。すると陣内のほうが全方位的に不明瞭な感じで答えた。

「あ、そういう小説みたいなのも、たまには読んでみたりするといいかなとか、そういう感じみたいなのはあります。なんか読んでためになったなーみたいな的な」

どうやら「岩波文庫の前にいる人」という基準で選ばれたわけではないらしい。

読んでためになるなら新書とかだろう。もちろん文学だってためにはなるが、たぶん彼の言っている「ためになる」とは全然違う。なんというか、そんなに即物的に「ためになる」ものは、少なくとも岩波文庫にはない。十年後二十年後になって、「ああ、このことか!」とはじめてためになるような遅効性の、しかしだからこそ本物の効果しかない。

とはいえ移動するのも面倒くさいし店内が混みあっているので、なるべくこの場で済ませたい。さっき深いいレバーを倒したくせに申し訳ないのだが、さすがに求められている要素がわからないので提案に困る。

「ほら、たとえばここにある『罪と罰』とか読むと、いや抜群に面白いんだけどね、もしかすると死にたくなっちゃうかもしれないから」

僕は陣内の目を見て、それが入院患者にオススメでない理由を明確に語った。入院してる友達の病状を聞いていない(鼻を高くする手術かもしれない)のでなんとも処方のしようがないが、どうも死の匂いがするものは避けたほうがいいような気がして、しかし目の前の棚にあるものはどれも死の匂いしかしない岩波文庫である。文学には死がつきものなのだから仕方ない。そもそも人生には死がつきものである以上は、文学にも死がつきまとうのは必然である。

すると奥にいた台風レポーターの彼が、風速50mをくぐり抜けてきたような輝かしい目で言った。

「やっぱり、いっぱい本とか読むんすか?」

……駄目かもしれない。こいつは、駄目かもしれないと思った。たぶんこういう訊きかたをする人間の「いっぱい」は、全然「いっぱい」じゃなくて、本当におちょこ一杯くらいの「いっぱい」に決まっている。たぶん「そうね。僕くらいの読書虫になると、これまでの人生で10冊くらいは読んだかな」ともし答えても、「うひょー、そんなにっすか! すげえ虫!」と驚いてくれるに違いない。それが全部『ドラクエ』の攻略本だとしても。

結局僕はせめてなんとか笑えるものをと思い、目の前の岩波文庫の中から『カフカ短篇集』を勧め、「不条理で虚しくなる部分もあるけど、笑おうと思えば笑えるから!」という無理矢理な解説を加えたのち、なんとなく僕らは別れた。いやその虚しさこそが爆笑ポイントで、悲しみと笑いが隣接しているという感覚がある人には無条件で笑えるはずなのだが、たぶん彼らは今のところそういうタイプの人間ではないと判断して、いちいち余計な説明をしたのだった。

それから書店を出てすぐに「土屋賢二のエッセイを勧めてあげるべきだったかな」と思ったが、「ああやってちゃんと迷ってプレゼントを選んでいるというプロセスこそが最高のプレゼントなのだ」と、自分の中で無理矢理深よく結論づけて、あごをちょっとだけしゃくれさせながら帰路についた。

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