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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

「小説でしかできないこと」しかやらないという冒険〜『三姉妹とその友達』/福永信

個人的には中原昌也青木淳悟福永信という芥川賞未受賞作家の三人こそが、ここしばらく日本文学の先頭を走っていると思っている。そんな福永信の最新作はもちろん問題作。

スマートフォンを海へ投げ捨て、貝がらを耳にあてろ!」という謎の帯文が、ふざけているようで実のところ中身のすべてであるという不条理小説の極み。しかし普通のストーリー小説ではないので、ネタバレとかそういう問題は一切ない。むしろここには、物語を語りながらも、物語とは別の面白さしかない。

いや物語はここにも確かに存在するのだが、あるのはいわゆる物語の面白さではなく、それを意識的に破壊することによって発生する怪しい熱のようなものだ。ここにある物語的要素は、破壊されることを前提とした素材であり燃料であって、それ自体を目的として作り上げられたものではない。いわば「道具としての物語性」ということになるだろうか。物事にはそういう使い方もある。

感覚的に言えば、「何ひとつ有意義なことは言っていないのに、すべてを言っている小説」ということになるが、「のようなふりをして、やっぱり何も言っていない小説」とつけ足すのが本当かもしれないし、さらに「のようでいて、やっぱり世界全部を言い尽くしている小説」と、もひとつ足して言い切りたい欲望にも駆られるこの無限ループ。「あるようで、ない。ないようで、ある」そんな宙ぶらりんな状態を面白いと感じる向きは、ぜひ読むべき一冊。もちろん二冊でも三冊でも百冊でもなく一冊。

表題作「三姉妹」とそれに続く「そのノベライズ」という作品がワンセットで「戯曲+その小説版」のような形をなすトリッキーな構成。明らかに二度手間に見えるが、形が変われば中身は変わる。思ったよりだいぶ変わる。もちろん変わらない部分もあるが、だからこそ変わって見える部分が浮き彫りになるようでもあり、気になって仕方なくなってくる。

となると、そのいかにも狙いすましたような枠組みに意識を奪われがちであるが、単なる形式主義とは異なり、ワンフレーズ単位の面白さ、その言葉のつなぎ方のセンス、そしてそういった言葉の並びから自動生成される物語の一見スムースに見えてまったく捉えどころのない「騙し絵」のような動きなど、やはりこの作家は中身の精度がすこぶる高い。そう、福永信の小説は、いつも騙し絵のようだ。でも絶対に小説でしか描けない騙し絵。

ちなみに、巻末に「友情収録」されている「この世の、ほとんどすべてのことを」という小品も、いかにも「ちなみに」といった佇まいで、ひらがな増量で軽く書き飛ばした童話のようなふりをしていながら、その実とぼけた顔してババンバンな逸品。あるいはこちらのほうが、福永信の凄さを瞬間的に感じられるかもしれない。

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