泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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謝罪以上事件未満、あゆ以上おでこ未満

意味ありげな言葉は、意味ありげな人物から発せられるとは限らない。時には意味なさげな人物から不意に意味ありげな言葉が飛び出してくることがあって、それはその人物像が意味なさげだからこそ、より意味ありげな言葉に響く。

という話になると、「そもそも意味ありげってどういうこと?」とか「意味とは何か?」みたいな哲学的問いからスタートしなければいけないような気もするが、それは面倒なのでやめるとして、「意味ありげ/なさげ」の判断基準とは、ひとことで言えば「雰囲気」である。身も蓋もない。ついでにキャップもラベルもない。いわばすぐに資源ゴミに出せるレベルのチープな基準だが、これ以上説明するつもりもない。

先日、近所の商店街を歩いていると、薬局の前で大学生らしき青年とすれ違った。大学生と言えば、地球上でもっとも意味なさげな人物の筆頭である。彼をなぜ大学生と断定したかといえば、眼鏡をかけてフードのついた服を着ていたからだ。なぜだかはよくわからないが、この二つをセットで身につけている若者は、間違いなく大学生に思えてしまう。時には、眼鏡を外してフードにしまうのだろうか。あるいはフードの中には、もう一本別の眼鏡が入っているとか。よくわからないが、自分が大学生のときには、なるべくフードつきの服は着ないようにしていたような気もする。たぶん僕は、大学生っぽく、意味なさげっぽく見られたくなかったのだろう。その努力こそ何の意味もないことこの上ないが。

その大学生(なんとなく断定)は、とにかくすごく普通だった。何が普通かと言うと、たとえば猫背の角度とかも大学生として普通だった。そんな彼が、歩きながら携帯電話に向かって、こんな意味ありげなことを言った。と、ここまで前フリが長いと、言うほど意味ありげというわけでもないような気がしてきたが、これを書くために書き始めた文章なのでもう書くしかない。彼は言った。

「『すいません』じゃなくて、これは事件なんだけど!」

ちょっと弱気な織田裕二。そんなリズム感の台詞だった。まったく「事件臭」のしない意味なさげな人物から、「事件」という強い言葉が放たれることの意味ありげさ。そして「すいません」という言葉に漂う日常性から、「事件」という言葉の持つ非日常性への大いなる飛躍。彼は何を謝られ、何を許さないというのか。シャーペンを借りパクされたのだろうか。テニスサークルのバーベキューに一人だけ呼ばれなかったのだろうか。サイズとしては間違いなく、「レインボーブリッジ」よりも「シャーペン」が相応しい。事件は現場でも会議室でもなく教室で起きている。

わざわざ「事件なんだけど!」と言わなければ、事件と思ってもらえない事件。それはつまり、たいした事件じゃないということだろう。殺人現場を目の当たりにして、「これは事件だ!」という人は、犯人を追いかける際に「待てー!」と叫ぶ警官とセットでしか登場しない。

と、そんなことがあった数日後、また同じ商店街を歩いていると、母娘二人乗りの自転車とすれ違った。母はフラフラと自転車を走らせながら、後ろに乗っているわからずやの娘に、何度も何度も同じ言葉を呪文のように繰り返し言い聞かせていた。

「だから、あゆはおでこが広いんじゃなくて、おでこが出てるのよ。だからあゆはね、おでこが広いんじゃないのよ。おでこが出てるのよ」

この意味ありげな言葉から我々は、何を学び取ることができるだろうか。

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