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不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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誰でもできる適当予言入門 〜基礎編〜

予言というのは、誰にでも簡単にできるものである。当たる予言をするのは難しいが、当たらなくてもいい予言ならばとても簡単だ。少なくとも、アイスを当てたり好きな娘に告白したりミヤマクワガタを捕まえるよりは遙かに簡単だろう。

試しに『新明解国語辞典』で「予言」を引いてみると、《未来を予測して言うこと》と書いてある。簡単にもほどがある。ここには「当たらなければいけない」というニュアンスは一切ない。しかし「予測」と言われると極端に精度が下がる感じがするうえ、猛烈な安っぽさが付随する。逆に言えば予言とは、予測にハクをつけただけのものだということだ。

つまり、それっぽい雰囲気のある予測を言えばそれすなわち予言になる。なってしまう。ならざるを得ない。なるなると言っておいてならないかと思ったらいやだいつの間にかなってるじゃないの。そういう感じだ。

では「それっぽい雰囲気」とはいったい何か。説明するのは難しいが、何ごとにつけ雰囲気作りには枠組みが多くを担っている場合が多い。つまり予言にも明確に「型」というものがある。

最も汎用性の高い予言の型として、「AがBするとき、CがDするだろう」というものがある。たとえば「南の浜に大量のクラゲが打ち上げられるとき、地球に隕石が衝突するだろう」というような文章だが、注意すべき点は、文章の前半より後半が無駄にスケールアップするように気を配ることである。できれば後半は地球規模あるいは宇宙規模にまで問題を発展/拡大させることが望ましい。あとどこかにアバウトな方角を入れとくとなんとなくそれっぽい。

とはいえ、何も難しいことはない。こういう場合は全体を把握しようとするのではなく、小分けにして個別対応するのが攻略の近道である。この型の場合、AとCが主語、BとDが述語という対応関係になるが、AよりもCに、BよりもDにスケール感のある強い言葉を持ってくることで、容易に全体のスケールアップをはかることができる。例文の場合、「A=クラゲ」<「C=隕石」という部分は見事なスケールアップを果たしているが、「B=打ち上げられる」と「D=衝突する」の大小関係は一見微妙に映る。かろうじて「打ち上げられる」が受身形であることにより、「漂着する」に近い弱々しさが出ているためなんとかB<Dであると言えるが、もう少し表面的な強弱差が欲しいところではある。

つまり予言とは、ABCDの穴埋め問題に過ぎない。スケール感にさえ気をつけて穴埋めをしていけば、誰にでもすぐにできてしまうお手軽な、スナック感覚の、レンジでチンするだけの、すでにむいちゃってある甘栗のごとき、あるいは使い捨てのリバーシブルの、それでいて豪放磊落な拾い食いのような、とにかく非常に簡単なものなのだ。では最後にさらなる例文を二つ挙げ、基礎編の締めくくりとする。

「室伏が南南東の方角にハンマー投げしとき、天より大量のタンクトップが降り注ぐだろう」
(室伏<タンクトップ、投げる<降り注ぐ)
「北の端に住む幼稚園児が自転車を後ろ向きに立ちこぎするとき、冬の空に輝くオリオン座が軽部アナの蝶ネクタイにメタモルフォーゼするだろう」
(幼稚園児<オリオン座、立ちこぎ<メタモルフォーゼ)

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