泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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目まわり温暖化

前髪をメガネにしまっている女子を見た。何かある。

メガネをメガネケースにしまっているわけではない。前髪をメガネケースにしまっているわけでもない。前髪を前髪ケースにしまっているわけでもない。そのほうが重症かもしれない。

駅構内の地下道で振り返った彼女の目の前には前髪があり、そのさらに向こうにはメガネがあった。こちら視点で言えば、何よりも先にまずメガネが現れ、その奥に濃密な毛束がすき間なく壁を築き、最後に満を持して彼女本体が登場する。過剰防衛にもほどがあるが、視界を奪われたぶんの防御力低下は計りしれない。

私服姿だが女子高生くらいであろうか。何しろ顔の再重要パーツである両目が隠されているのでよくわからない。前髪が「かかっている」のでなく「しまわれている」というのは、つまり目とメガネの間が真っ黒に埋め尽くされているということである。メガネとは何だろうか? 

メガネとは本来、目が良く見えるようにする道具である。だが彼女はそんな旧来の定義に対し、あからさまに異を唱えた。「メガネをかける場合、目とメガネの間に異物を挟んではならない」そのような暗黙の了解があることに、これまでわれわれ凡人は気づいてさえいなかった。そしてレンズと眼球の間の不可侵領域(冷静と情熱のあいだ)は、軽々と打ち破られた。オゾン層は破壊された。眼球−メガネ間の温暖化が止まらない。メガネ最大のクライシスである。

この未曾有の歴史的危機(世界三大危機のひとつ。あとの二つは「遅刻」「仮病発覚」)を乗り越える方法を持つ者は、おそらくメガネ業界にひとりもいないだろう。視点を変えて(メガネだけに)メガネを視力矯正具ではなく、昨今の風潮に乗ってファッションアイテムとして捉えなおしたところで、彼女はお洒落でもなんでもなかった。当たり前である。メガネは目を飾るものであって、前髪を飾るものではないからだ。そして「前髪を飾るメガネ」は、メガネ業界の新たなる課題として提示された。

蛭子さんがシャツの裾をズボンの中にしまうように、前髪をメガネの中にしまう彼女。いったんそれをやってしまったが最後、もうしまわないことには、どうにも落ち着かないのだろう。スイカ割りに最適である。

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