泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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顔面スキャンは控えめに

人はわかりにくいものに出会ったとき、それを「すでに知っている何か」にたとえることで強引に把握しようとする。いわゆる比喩というやつである。これが得意な人は、ソムリエか村上春樹になる。カモシカのような脚。これは間違いで、「カモシカの脚のような脚」と言うべきだ、と言ったのは松本人志。正しすぎる。

しかし当然だが、わかりにくいものをわかりにくいものでたとえると、わかりにくいままになる(よりわかりにくくなる、とまでは言わないが、どうせわからないのだから一緒だ)。

たとえば意味のわからない数字。数字というものは単位をつけることによって、ある特殊な意味を持つ。同じ10,000でも、「円」と「ヘクトパスカル」では全然意味が違う。しかし僕らには、円の感覚はわかっても、ヘクトパスカルは皆目わからない。そこで登場するのが、「比喩単位」である。そんな言葉はないが、勝手にそう呼ぶことにした。単位を比喩で表現しようという試みのことである。

もっともメジャーな比喩単位は、やはり「レモン」と「東京ドーム」だろう。「レモン3個分のビタミンC」「東京ドーム10個分の敷地面積」。しかも東京ドームは便利なことに、「何個分」として広さを表すだけでなく、「何杯分」として容積を表すこともできるという優れものだ。一方で、映像的には「たばこの箱」も比喩単位として頻繁に持ち出されるが、文字で「たばこ何箱分」と表記されることはあまりない。だからといって別にどうということはない。

今回新たに登場した比喩単位のニューカマーをご紹介したい。「CTスキャン」君である。放射線の目安を示す比喩単位としてこのたび彗星の如く現れ、「CTスキャン何回分」というふうに、回数で値を示す。「シーベルト(/ミリシーベルトマイクロシーベルト)」という単位を表すために、わりと大きめの病院からのこのことやってきた。

しかしなんだろうこの、わかりにくいようなわかりやすいような、やっぱりわかりにくいような感じは。「わかりにくいものをわかりやすくする」という比喩単位の役割からすると、積極的に失格の烙印を押したいレベルではある。

わかりにくいのはひょっとしたら、CTスキャンというものが、我々にとってレモンや東京ドームほど身近でないからなのか。いやそんなことはない。東京ドームに行ったことのない人はいっぱいいるのに、東京ドームという比喩単位をわざわざみんな使っているのだから。東京ドームとCTスキャンのどちらが身近かと問われれば、意外と結構いい勝負なんじゃないだろうか。むしろカモシカの脚のほうが遠い。

どうやらCTスキャン一回分は、6.9ミリシーベルトとされている。しかしそれがどういう数値なのかは、CTスキャンを受けたことのある僕にもさっぱりわからない。つまりこれはやはり、身近さとは関係なくわからない数値なのだ。そのわからなさを証明するように、それ以下のレベルの比喩単位として、「東京〜ニューヨーク航空機旅行(往復)」という、まったく比較対象にならないトンチンカンな単位が用意されているではないか。この比喩単位がトンチンカンな証拠に、これが「東京〜パリ航空機旅行(二往復)」でも「ふーん」と納得してしまう。どちらに行きたいかは好みの問題だ。

ところでCTスキャンといえば、もう少し身近なところでプリンタのスキャナー機能はどうなのかと思い当たる。むかし悪ふざけで顔をコピー機に押しつけてコピーする輩がいたが(目的は不明)、あんな感じで顔面スキャンしたら存分に被ばくしていたりするのだろうか。そんなことはないのだろうが、むしろそうであるほうが納得がいくような気がするくらいわからないことになっている。

わからなくなったときはやはり、何事も基本に帰ることが大切だ。基本とはつまり、「レモン」と「東京ドーム」ということだ。いま放出されている放射線量がレモン何個分で東京ドーム何杯分であるのか、誰か教えてくれないだろうか。どちらかというと東京ドームは量的に勘弁だが、「レモン1兆個分」とか言われると、それはそれで変に怖いこと請け合いなので、やっぱり誰も教えなくていい。

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