泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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天敵・試食おばば

やさしかった試食おばば…でもやさしかったけれど苦手だ。苦手なものは苦手なんだからしょうがない。人としてではなく、もう職種として苦手なのだ。試食おばばというジャンルが。

無駄にデカい近隣のパースーで、じゃがを買おうかどうか迷っていた。それはじゃがが何種類にも渡ってあるからで、正直どのじゃががどうじゃがなのかさっぱりわからない。しかしわからないものをいくら眺めていてもわからないままなので、なんとなく手に取ってみたりするが何ひとつ情報は得られない。知識が足りない。

と無闇に数々手にとっては置くキャッチ・アンド・リリースを繰り返すうち、見切り品(以下「ミッキー」転じて「安川」)が現れた。安川はどれほど古びているのか、安川にどの程度芽が生えているのか、安川の色は肝臓が悪そうにくすんでやしないかと、全方位的に安川をためつすがめつし、しかし安川のくせに20円くらいしか割引されてないことに不満を覚えながら、自分は存分に安川(わかんなくなってきているような気がするので改めて言うと見切り品のことです)について迷っていた。

だがそこまでしてまさに穴の開くほどにじゃがを、あらゆる角度からズームアップしているその姿は、端から見ればまさに「買う気まんまん」のアティチュードに見えたのだろう。その隣の通路沿いで安川でないじゃが(つまり古くないじゃが)を声高に、というほどでもなく割と落ち着いた調子でおすすめする試食おばばが声を掛けてきた。

しかしその声を掛けている相手が自分かどうかどうもわからぬのは、おばばの目線がぴったりこちらにはズームインしていないからで、どうやらおばばは仕事上のスタンスとして、パブリックな態度をどうしても貫きたいらしい。しかし目を合わせないまま、紙皿に載ったマッシュポテト的なものを確実に自分の手に握らせてくるあたり、このおばば、心眼の使い手やもしれぬ。油断大敵。

しかし他には誰ひとり立ち止まらず素通りするばかりだから、明らかにターゲットは自分ひとり。確かに自分、じゃがは求めているがそれは肉じゃが要員としてであって、マッシュするつもりも技術もない。しかもマッシュを普段食べ慣れていないものだから、渡されたマッシュを食べてもそれが上手いじゃがなのかどうかさっぱりわからないのである。

と、そのものわかりの悪そうなこちらの顔に危機感を感じたのか、試食おばばはどうやら伝家の宝刀らしきキラーフレーズを繰り出してきたのだった。もちろん自分にではなく、よりパブリックな全体に向けて。

「あのね、ドイツ人はね、朝食でパンの代わりにじゃがいもを食べるからね。じゃがいもで済ましちゃうの。パンとか食べなくてもじゃがいもで充分なの」

思わぬおばばのドイツ人崇拝。ああ第二次世界大戦はまだ終わっていないのだ。この世代の日本人にとって、ドイツ人は屈強な味方なのだと、涙なくしては聴けない感動の名台詞である。なんと信憑性のない言葉だろうか。

そらドイツ人はデカい。デカい人が食ってる朝食は体にいいはずだ。しかも屈強なゲルマン魂まで身につきそう。むしろ成分としてゲルマン魂は当然のごとく含まれているだろう。はいラベルを見れば北海道産。むしろ道産子魂。

結果、自分は安川ではなく試食おばばのじゃがを購入した。なんかドイツ人に負けた気持ちである。それもこれも、おばばがドイツ人を畏れすぎているから。戦争反対。帰ってすぐに肉じゃがを作った。

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