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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

知らぬ存ぜぬ歩行費

解けない数式なんてものは、数学嫌いの人間にとってこの世にいくらでもあるが、それ以前にまだ生まれてない数式ってのもたくさんあって、きっと答えよりも、生活上必要な数式をリクエストすることのほうが大事なんじゃないかと思う。いま急に思う。

というのは、気がついたらもの凄く靴底が減っているからで、それは最近たくさん歩いているから。と、こんなにからから言っても一向に理由の説明になっていないのは、だから数式で表してほしいような面倒なことを言っているので当たり前なのだが、つまりはこんなに靴底が減ってはたくさん歩いている意味がないのでは、ということである。

と、つまりとかであるとか言ってもまだまだ説明になっていないのがもどかしいが、結局のところ靴底があまりに早く減るとお金がかかって困るって話に近い。これはロシアの滑稽文豪ゴーゴリが書いた『外套』という小説の主人公アカーキイ・アカーキエヴィチが、外套を新調するお金を貯めるための節約手段として、真っ先に「靴底を減らさないようにそーっと歩く」ことを選択したことに象徴的だが、あれは誇張されたユーモアであってそこまで深刻に受け止めるべきじゃあない。

だけど踵がすり減って中身の違う色が露出しはじめたスニーカーの靴底を見るたび、擦りむいて骨が見えたまま歩いているような、いわゆる流行りの骨見行(ほねみこう。完全な造語)をしているような、そんな寂しい気分になるのも事実で、いやそんな感情論よりこれはやっぱりお金というか燃費の問題なのである。

そう、これはつまり端的に言えば燃費あるいは減価償却費の問題なのだ。

たとえば電車賃をケチって二駅分とか歩けば、まあ往復380円とかの節約にはなると思うのだが、そのぶん靴の寿命が380円分以上すり減っているのではないか、ということを最初から言いたかった。なるべくシンプルに言いたかった。

それを考えるとタクシーで移動した場合は駅まで歩く必要もないから靴底の減りはより少なくて済むが、タクシー代の高さとの差し引きはいかばかりのものか。

あるいはもっとロングスパンで考えて自家用車の利用を考えてみれば、そこには車本体のべらぼうな値段やガソリン代はもちろんのこと、今度は靴底だけでなく車の「タイヤの減り」という新たなヘリリズム(繰り返すこの)も生じてくるわけで、しかしタイヤは靴底ほど激しくは減らないような気もする。

とこうやって考えていくと、それぞれの単位や減りゆく要素があまりに違いすぎて、どこをどう調整してもまともな比較ができなくて困るから、これを誰か数式にしてくれないかと思う。

まあ目安としては、毎日電車で380円かかる区間を歩けば、380×30=11,400円分ということになるから、それだけの距離を歩いても靴底が一ヶ月持つとするならば、11,400円の靴を買ってトントンということになる。しかし靴は休ませつつ数足をローテーションで履けとかいう常識があるからまたこれがややこしくなるわけで、気がつくと3足がバランスよく減ってある日いっせいに剥き出しになるというような悲劇が起こる。

あともう一つ考えなきゃならない大事なことは、そもそも「歩く」ということに各人がどのような価値を感じているかで、まあ端的に言えば歩くことを「損した」と感じる人と、「得した」と考える人がいるということである。近年のウォーキング・ブーム的な感じで、健康を考えて歩いているならば歩くことはすなわち得であるし、逆にそれを単なる「疲れ」の原因と考えるならば明らかな損失だろう。

つまり人は歩くことで、先の例で言えば毎月11,400円を費やしているのであり、それだけの価値をウォーキングに見出せるかどうかという世知辛い問題にもなってくる。いっそ覚悟を決めて裸足で歩けば別かもしれないが、それはそれで怪我の治療費やら怪しまれるリスクなども少なからずあるわけで、なんかそのへんも含めて、歩くことに僕らは意外とお金を使っているのだなあと思った次第。

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