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『1Q84』BOOK3/村上春樹 Part2

物語全体の流れや構成を考えれば、悪く言えば「蛇足」、良く言えば「補足説明」といった感の強いこのBOOK3だが、だからこそ発揮されている面白さというのもまた確実にある。

それは「ストーリーを前に進めなければならない」という義務感から開放されたことではじめて入手することのできる、ある種の自由のようなものだ。ストーリーの進行を横の動き、人物描写や気の利いた警句を縦の動きとするなら、このBOOK3では横の動きがほとんどない分、村上春樹特有の、縦へと掘り下げる動きが存分に発揮されている。この小説全体をひとつの穴と考えるならば、BOOK1・2で幅広く掘った穴を、それ以上横に広げることなく縦に掘り進めているような感触、とでも言えばいいだろうか。

BOOK3前半から顕著なのは、とにかく繰り返しの内容が多いことである。人物描写にしろ状況説明にしろ、同じ内容が少しずつ表現を変えながら何度も何度も立ち現れる。ともすると文字数稼ぎとも思われかねないし、またBOOK2から期間が空いてしまっため、読者の記憶をあまりあてにできないという前提もあるだろう。だがこの、一箇所にとどまりその場を掘り続けるような執拗な表現の中に、物語から独立した場所でも充分に成立するような、珠玉の一文が数多く潜んでいるのもまた事実。ストーリー上を全力で走りながらではできないことも、散歩あるいは立ち止まった状態であればできる場合がある。

そういう意味で、このBOOK3には、非常に気の利いた表現が多く登場する。いくつか例を挙げてみる。

「事実にとって大事な要素はその重さと精度だ。温度はその次のことになる」(P156)

世の中の人間の大半は、自分の頭でものを考えることなんてできない――(中略)そしてものを考えない人間に限って人の話を聞かない。(P191)

人は死者に自然な敬意を払う。相手はついさっき、死ぬという個人的な偉業を成し遂げたばかりなのだ。(P431)

村上春樹の魅力とは、実はまったく別の形で同じく国民的作家である司馬遼太郎にも通じる、こういった警句生成能力でもある。そこには優れた人間観察力と洞察力と表現力がある。ただ司馬遼太郎と違うのは、村上春樹の場合、その警句に方向性がありすぎることで、それはつまり彼の描く登場人物がどれも似すぎていることによる。

村上春樹作品の中では、老若男女美醜にかかわらず、誰もが村上春樹のように喋る。それぞれの趣味もかなり共通していて、みんなジャズやクラシックが好きでポピュラー・ミュージックを見下し、テレビを観ない。それはつまり村上春樹の趣味を反映させた結果なのだと思うが、普通そこまで作者の好みを登場人物に乗せたりしない。そんなことをしたら書き分けができなくなってしまうし、小説世界のリアリティがなくなってしまう。しかしその作者の好みの範囲内での微妙な差異を書き分けるのが村上春樹の真骨頂であり、その好みが限定されているからこそ、方向性が定まり、その表現は強度を持つことができる。だから村上春樹の作品がある種のバランスを欠いているのは当然のことで、逆に言えば面白く読むためには、多くの純文学作品に接するときにそうであるように、全体の形をあまり気にしないようにする必要がある。

と言いつつ話を全体のことに戻したいのだが、このBOOK3の後半に差しかかったところで、実はこの作品が、本質的にはファンタジーでもミステリーでもなく、わりとシンプルなラブストーリーであることが判明する。むしろそれ以外の要素はそのための前フリや味つけに過ぎず、内容的には至極真っ当な純愛物語なのである。そう考えると、謎が放置されようがミステリー的な山場が過ぎてようが、そんなことは大した問題ではなく思えてくる。

と、いったんは思うのだが、実はこの青豆と天吾の恋愛感情が切々と綴られる後半のパートにおける表現が、思いのほか平凡であまり冴えないのが問題なのだ。例えばこんな風に。

そして目を閉じ、天吾のことを思う。それ以外にはもう何を考えることもできない。胸はしめつけられるように苦しくなる。でもそれは心地の良い苦しさだ。いくらでも耐えられる苦しさだ。(P529)

正直、ケータイ小説にあってもおかしくないレベルの表現だと思う。今回は、牛河という醜い中年男の描写が秀逸で、ネガティブな内容であればあるほど筆が冴えわたっているのだが、どうもポジティブというか、ロマンス的な表現は平凡な域にとどまっている。この作品をラブストーリーとして捉えるならば、その中心部分がどうにも平凡すぎるように思えるのだ。そしてそれがこの作品の評価を難しくする。

まあもちろん、どんな個性的な人物も、こと恋愛になるとスタンダードな展開を望むことは多いわけで、そういう意味ではリアルといえばリアルなのかもしれない。このままBOOK4へと続くのかはわからないが、このBOOK3後半のラブストーリーのクオリティからすると、さすがにこの先は難しいのではと思えてしまう。

ところがそんな後半にも一箇所だけ、とんでもなくファンタジックな要素が突如としてぶち込まれている部分があるのだが、これは恋愛オンリーになっていることに対する危機感から差し込まれたものなのか、あるいは次巻への伏線として現れたものなのか。あえてどことは明言しないでおくが、読めば「なんじゃこりゃ」と誰もが明確な違和感を覚えると思うし、かなりの無茶振りに感じられると思う。あるいはこの大きな謎を抱えたまま、作中にも出てくる『失われた時を求めて』のように、BOOK10ぐらいまで突っ走るつもりなのだろうか?

個人的には、気の利いた一文一文を楽しむという意味において読んだ意義のある一冊だったと、今は思っている。

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