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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

『1Q84』BOOK3/村上春樹 Part1

書評(小説)

これはつまり大ボスを倒した後のピロートークなのだ。

たとえば漫画でもRPGでもいい。少年漫画ならば連載を長続きさせるための引き延ばし工作であるし、RPGならばもはや決まりごとのように「クリア後の世界」が期待されている。だがそういった「その後の世界」がそれ以前に比べ面白いことは滅多にない。たとえば『ドラクエ』であればその後の世界にもやはりモンスターは存在するが、プレイヤーのモチベーションは猛烈に落ち、残されたのは「すべてを見、すべてを集めなければ完全に制覇した気になれない」という強迫観念と義務感だけである。それはあくまでもボーナストラックであって、しかしボーナストラックの方が本編の楽曲よりも良いという場合もたまにはある。つまりこのBOOK3にも、そういう点は少なからずある。しかしもちろん蛇足感は大きい。

ミステリー的な山場はとうに過ぎているし、そもそもあのBOOK2のラストからの立て直しには相当な無理がある。一種のネタバレにあたるのかもしれないが冒頭30数ページで明かされる部分なので言ってしまおう。死を完全に決意していたはずの青豆が生きていたという事実に、まず悪い意味で度肝を抜かれた。これはあまりに安っぽいご都合主義ではないか。ちなみにBOOK2の青豆パートのラストシーンは、こう描写されている。

「天吾くん」と青豆は言った。そして引き金にあてた指に力を入れた。

もちろん、その前にもさんざん盛り上げられ、完全に死ぬ準備が整えられた上でのこの場面だった。彼女が死ぬことでしか天吾を救うことはできない。大ボスであるところの教団のリーダーも、そう言い残して死んでいった。それは明らかにひとつのクライマックスであったし、その言葉は決定的事実の響きを持っていた。完全にそういう方向に物語は進んでいたのだし、それを前提とした感動がBOOK2にはあった。

それに対し、このBOOK3における《青豆は拳銃の引き金を引かなかった》という青豆の再登場は、あまりに軽薄な覆しに思える。これをやるならば、BOOK2の青豆の最後のシーンを、もっと開いた形で終えなければならなかった。だがとりあえずBOOK2までの段階でひととおりの読後感を与えるには、先に挙げた決定的な一行が必要だと判断したのだろう。

しかしそれがこのBOOK3のスタートを躓かせている。少なくともあそこで死ねなかった青豆は、いくらか格好よさが減退してしまう。それは結局のところ、愛する天吾を守るよりも、天吾に会いたいという自分の気持ちを優先させたことになるからだ。つまり青豆が抱いていた気持ちは、「愛」ではなく「恋」だった。もちろんその後に多くのページを割いて、二人が出会うことがいかに必然であったかが繰り返し語られるわけだが、それらはどうしても、「天吾のために死ねなかった青豆の言い訳」に聞こえてしまう。

というのが、ミステリー的に本著を読んだときに、最も引っかかった点である。特にこのBOOK3は推理モノっぽい入りになっているため、最初はどうしてもそう読みたくなってしまう。しかしこの作品にはそれ以外の読み方もあるし、もしかしたらそっちのほうが正解に近いのかもしれない。読み方の軸を変えると、面白い部分や長所もいろいろと出てくる作品でもある。もちろん、読み方に正解も不正解も絶対にあり得ないのだが。

(疲れたのでPart2にたぶんつづく)

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