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UEFAチャンピオンズリーグ アーセナル 2-2 バルセロナ 1st leg

似たような方向性を持つ二者を実際にぶつけてみたとき、その違いは如実に現れる。目立つのは共通点よりも差異であり、また同じものさしを使ってある程度までは測ることができるため、レベルの違いが浮き彫りになる。

迅速かつ精密なパスサッカーを標榜するこの2チームの対決は、まさにそういった「わずかだが決定的な違い」を炙りだすために行われたような試合となった。

というのはいちアーセナルファンからの最大限ポジティヴな解釈であって、実際には、バルセロナが「格の違いを見せつけた」試合というほうが感触として正しい。まるでピッチ上で「しつけ」や「教育」が行われているような、アーセナルにとってあまりに厳しい試合だった。

だが同時に、おそらくその教育効果は非常に高かったのではないだろうか。今シーズン好調と言われてきたアーセナルにとって、ここまではっきりと問題点を痛感させられる機会はなかったのだから。国内におけるユナイテッドやチェルシー戦における負け方も、ある種格の違いを見せつけられるものではあったが、スタイルの違いや経験の差というような比較しづらい部分もあり、なんとなく負け慣れてしまっているから「いつもの感じか…」と済ませてしまうようなところもなかったとは言えない。

その点、このバルサ戦は、現状のアーセナルの姿を正確に描きだす鏡のような機能を果たす試合として記憶すべきだろう。

【本当にポゼッションサッカーなのか?】
アーセナルのように細かいパスを繋ぐスタイルは、一般にバルサを筆頭とする「ポゼッションサッカー」に分類されているように思うが、果たして本当にそうなのだろうか? ちなみにこの試合のボール支配率はアーセナル 38%-62% バルサで、アーセナルはまったく試合をコントロールできていない。シュート本数も6-22という大差をつけられている。これで結果は2-2という同点なのだから、数字から判断すればイタリアの一撃必殺カウンター・サッカーにしか見えない。他にもイエローカード5枚、コーナーキック0本と、普段のアーセナルからは考えられないような数字が並ぶ。なぜこんなことになってしまったのか?

【スピードが一段階上がると途端に景色は霞む】
バルサは速い。パスも思考のスピードも、明らかに他チームに比べて一段(あるいは数段)飛び抜けている。サッカーにおいて、一歩の出遅れは、すなわち敗北を意味する。タッチの差であっても、すべての局面で半歩届かなければ、永久にボールには触れない。アーセナルも同様にパス回しが「速い」チームではあるのだが、それでも半歩及ばなかった。そしてその及ばなさは、半歩であろうと十歩であろうと、及ばないことに変わりはない。つまり、差がどれだけ微細であろうと、結果としてボールを奪えないということだ。

たとえば特急列車の車窓からは見える看板の文字が、新幹線からは読み取れなくなる。もちろん看板は見えているのだが、文字が読み取れないのならば、それは見ていないのと同じことになってしまう。どんなにギリギリであっても、認識できていないことに変わりはない。おそらくアーセナルバルサの間には、ほんのわずかなスピード差しかないが、しかしその差はどんなに小さくても致命的なものとなる。「あと一歩」という言葉は、希望的であると同時に残酷な現実を示しもする。

【パスサッカー=ポゼッションサッカーではない】
今シーズンのアーセナルをずっと観てきて思うのは、実は思ったほどボール・ポゼッション率が高くないということ。それは試合後に表示される数値を見て毎回意外に思う点なのだが、下位チームとの対戦で圧勝した場合にも、ポゼッションは55%程度であったりする。これは明らかに昨シーズンよりも低い。昨シーズン一昨シーズンには、60%を越える試合も多く、「ボールを持っているのに勝てない」というもどかしさがあった。

しかし今シーズンは、あまりボールは持てていないのに結構勝てている印象がある。それを「効率が良い」と受け取るべきなのか、あるいはボール・ロストが多いと取るべきなのか。

この試合中、バルサ事情に詳しい羽中田さんの解説が終始的を射ていて素晴らしかったのだが、そこで以下のような指摘があった。

バルサはパスが縦に通らない場合、後ろから何度でも作り直す」

ポゼッションサッカーとは、詰まるところそういうことなんだと思う。バルサのサッカーがスピーディーでありながらも妙に落ち着いて見えるのは、後方の安全性を常に確保しているからだろう。そして当然、後ろで安全に回している時間帯が長ければ、ポゼッション率も上がる。

しかし中盤より後ろでボールを回し続けるのは、「ボールを持っているのではなく、持たされているだけ」と揶揄されることも多い。バルサに関しては、やはり積極的に持っているという印象が強いが、それは前戦の選手の動きが多いためで、「持たされている」というよりは、「前の選手がいい場所を確保するまでパス出しのタイミングを待っている」という感がある。

とはいえ、僕がバルサを完全に好きになれないのは、たぶんこの「後方で回している安全な時間帯」がつまらなく思えてしまうからなんだと思う。アーセナルはもっと先を急ぐ。状況のあまり良くない選手にも、けっこう厳しいパスを出してしまう。でもそんな無茶がなんとかなってしまう瞬間があって、そこが魅力的でもある。そういった「無茶ぶり」のようなパスが若手選手の潜在能力を引き出している部分もあるのではないか。

つまり今のアーセナルのスタイルは、「パスサッカー」ではあっても「ポゼッションサッカー」ではない。たとえばこの試合では中盤でディアビが簡単にボールを失うシーンが多く、中盤から前戦への縦パスもことごとくインターセプトされてしまっていた。また、両サイドバックからの苦しまぎれで雑なクロスが多いのは今シーズンの重要な問題点で、本来ならばいったんセンターバックにボールを戻して組みたて直すべきところだろう。勝利を最優先させるならば、「ボールを保持している間の安全性」というのは必ず必要になってくる。

だがそれを「やらない」のか「やれてない」のか、常にチャレンジングに見えるところがアーセナルの魅力でもあるから、安易にバルサのスタイルを模倣することはない、という想いも同時にある。

いずれにしろアーセナルは面白くて強く、バルサは強くて面白い。アーセナルにとって難しい試合になるのは間違いないが、2nd legも世界最高峰の、「そこまでしなくていいよ」というくらいスリリングな試合になるはずだ。

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