泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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『BLACK GIVES WAY TO BLUE』/ALICE IN CHAINS 『ブラック・トゥ・ブルー』/アリス・イン・チェインズ

◆蒼い憂愁が真っ白な希望を立ち上げる

謙虚さと自信について、よく考える。

人間にとって大切なのは、何よりもこの二つであるように思う。まるでどこかの社長が新入社員向けのスピーチで言いそうなことだが、それ自体はおそらく間違ってはいない。しかしこの両者が、並び立つものなのか引き立てあうものなのか相反するものなのかが、いまいちよくわからない。食いあわせが悪くて、お腹を下すようなことがないとも限らない。グッと胸を張りながら、ヒョイと頭を垂れる奇妙な姿勢が思い浮かぶ。ひょっとしたら、どちらか一つでもいいのかもしれない。言葉の響き的には、たしかに虻蜂取らずな予感はある。

謙虚さは成長へとつながり、自信はある種の自由をもたらすだろう。

謙虚であれば広く他者の意見を受け入れるから、問題点のあぶり出しがスムーズに行われ、解決の糸口も発見されやすい。多くの問題は、問題を発見できないことそれ自体にあり、能力のある者は問題さえ発見できれば解決への道は決定できる。

自信があれば百出する他者の妄言に惑わされることがないから、好きなことを好きなようにできる。何よりも自分自身が納得できるのならば、失敗することさえ自由だ。自信のある人の発言には力があり、他人を動かすことができる。周囲に動かされるよりは、周囲を動かすほうがいいに決まっている。

どちらとも明らかに正しくて、明らかに怪しい。こんなのは、たとえばここで言う「他者」が優秀なのか阿呆なのか、あるいは当事者である本人が聡明なのか愚鈍なのかによって、すべてが正反対になり得る。簡単に言ってしまえば、「自分より優秀な他者に対しては謙虚であれ、自分より劣る他者に対しては自信を持て」ということになるのかもしれないが、それとて自分と他者のどちらを優秀と判断するかの基準が結局は自分でしかないわけだから、自分が思いのほか阿呆だった場合を考えると信用がおけない。

謙虚でありながら自信を持っている、そんな均衡状態に自らを持ってゆくまでに、14年もの時間がかかってしまったのだろうか。アリス・イン・チェインズ(以下AIC)の新作『ブラック・トゥ・ブルー』を聴いていると、どうしてもその14年というブランクに思いを馳せてしまう。だが同時に、本作にはなぜかそういった時間的空白を感じさせない、過去との連続性が確かに感じられる。たとえばこの作品が、前作の2年後に発表されていたとしても違和感がなかったというような。それどころか、過去のどの作品の後に置いても違和感がないようにさえ思える普遍性をも備えている。実際のところ大幅な時間の経過だけでなく、バンドの顔とも言うべきヴォーカリストが変わっているというのに。

表面的にはもちろん、新ヴォーカルのウィリアム・デュヴァールの声が故レイン・ステイリーに似ているというせいもある。しかしそれすらも、ここまでバンドを率いてきたジェリー・カントレルが意識的に選び取った要素であると考えると、そこには何らかの意志が働いているように見える。そしてそれは、彼が過去のAICを、あるいは7年前に他界したレインという不世出のヴォーカリストをどう捉えていたのか、という部分から発する意志であるのではないか。再スタートを切るためには、どうしても自らの過去と向きあうことは避けられない。本作はこんな一節から幕を開ける。

「希望 新たな始まり/時は今 生き直せ 死ぬ前のように/旅立った場所にはもう戻れない」(“オール・シークレッツ・ノウン”)

「希望」や「始まり」という言葉に騙されてはいけない。これだけ後ろ向きな再始動を、僕は他に知らない。まるでゴールに背を向けてスタートを切っている。かといって逆走しているわけではなく、バックステップでありながら、進行方向へは着実に踏み出しているという状態。そんな姿勢ならば、普通は再び走り出すことを選ばないだろう。少なくとも、わざわざそう宣言する必要はない。すべてを隠して走り出せばいい。だがジェリーひとりの手によって書かれたこの曲は、「秘密はすべて暴かれた」というフレーズで締めくくられる。なんて正直な人なんだろう。取り戻せない過去、それをもし現実に感じていたとしても、認め、告白までするとなると、そこにはとんでもないハードルがある。しかしこれほどまでにリアルな再始動もまたないだろう。

もちろん、彼らはただ後ろ向きなわけではない。そこにある「希望」や「始まり」といった言葉に嘘はなく、現に再スタートはすでに切られている。そしてこの「後ろ向きにスタートを切る」という彼らのスタンスには、ウィリアムも含めた現メンバー4人の、謙虚さと自信が込められているように思うのだ。

では何に対して彼らが謙虚なのかといえば、それは過去のAICが作り上げてきたものに対して、である。そこにはもちろん、今は亡きレインの功績も含まれる。そして謙虚さの基盤には、常に相手に対する尊敬の念がある。つまりは過去のAICへの圧倒的リスペクトが、バンド再始動のタイミングを遅らせ、今の彼らが新たな方向性を選び取ることを許さなかったのである。この点、謙虚さというのは、時に足枷にもなる。

だが一方で、今の彼らの自信の根拠になっているのもまた、過去のAICで自身が果たした功績に対する尊敬の念なのだと思う。自らに対するリスペクトとは、すなわち自信へとつながるものだから、少なくともウィリアム以外の旧メンバーにとってそれは、過去の実績に対しての謙虚さに付随してくるものである。この点、謙虚さに関しては、以前からAICのファンであったという新加入のウィリアムにも共有することが可能だが、自信に関しては他のメンバーに比べてまだまだ足りない部分であるのかもしれない。事実、本作におけるジェリーの過剰とも言えるコーラス・ワークは、ウィリアムの自信不足を補っているようにも感じられる。ウィリアムの中ではまだ、自信が謙虚さと同レベルまで達していないのかもしれないが、それはこれだけ実績あるバンドの一員ともなれば仕方のないことだ。だがその謙虚さこそが、やがて彼に自信をもたらす日が来るだろう。そしてそんな彼を抜擢したということは、他のメンバーにとっても、「まずは自信よりも謙虚さを優先する」という選択の結果であるわけで、その方針は再始動の一歩目としては悪くないように思う。

あるいは本作における彼らの選択を、保守的で冒険心に欠けるプランと受け取る向きもあるだろう。まず第一に、レインに似た声質のヴォーカリストを加入させたこと。第二に、過去のイメージを頑なに守り通し、新たな要素の流入を意識的に排除したかのような、ストイックかつミニマルな音楽的方向性。以上二つの要素から判断して、「旧来ファン層への売り上げを見込んだ戦略」と片づけてしまうのは容易い。しかしだとするならば、本作から滲み出るこのナチュラルな雰囲気はなんなのだろう。狙ったにしては、あまりにAICとして自然体すぎる。先にも触れたように、このアルバムは前作の直後に出ていてもおかしくないように感じられる。それは新たな方向性を打ち出していないのと同時に、不思議なほど現役感に溢れているということでもある。14年というブランクにまったく構えることなく、不思議なほどすんなりと、「いつも通り」な感じで彼らの世界に入ることができる。これだけ時間が経っているのだから、いつも通りなんてはずないのに。

たとえば、ガンズ・アンド・ローゼズの再起作『チャイニーズ・デモクラシー』と比べてみるといい。あちらはさらに長大な、17年ものブランクを経て発表された作品だが、そこには17年分の苦労の跡がきっちりと刻まれていた。大人数と大量の予算と多くの時間を掛けなければ作れないものが、そこにはあった。ブックレットのクレジットを見るだけで目が眩みそうになるその手間の掛かりようは、待たせたファンに対し、けっしてサボっていたわけではないことを証明する言い訳のようでもあった。結果としてまとまった作品はさすがにクオリティこそ高かったものの、作曲した時期が透けて見えるようなバラつきを感じさせる楽曲の並びが、「これはいずれも今のガンズではない」と感じさせた。ひとりでガンズの砦を守り続けるアクセル・ローズにも、当然過去のガンズに対する尊敬の念と謙虚さはあるのだろうし、だからこそなかなか作品を手放すことができなかったのだろうが、結局のところ彼は、バンド初期に他のメンバーが果たした功績に対し、謙虚になりきれなかったということなのだと思う。そういう意味で、『チャイニーズ〜』はアクセルの自信が謙虚さを大きく上回った結果として捉えることができる。

本作の歌詞には、「終わり」「最後」「終焉」「ラストシーン」「別れ」といったような、物事の終わりを連想させる言葉が数多く見受けられる。それが本当の「終わり」を意味するのか、「始まりの前段階としての終わり」を意味するのかは、今のところわからない。

そして本編ラストには、レインへと捧げられた“ブラック・ギヴズ・ウェイ・トゥ・ブルー”という珠玉のレクイエムが待ち構えている。そこでジェリーはまたしても堂々と、「未来は囚われている お前の亡霊に」などと後ろ向きなことを綴るのだが、この曲の最後を締めくくる「横たわれ 黒い妄執は蒼い憂愁に変わる/横たわれ 俺はお前を忘れない」というフレーズの後、再び1曲目冒頭へと戻ってみると、そこに改めて登場する「希望 新たな始まり」という言葉が、最初に聴いたときとはまったく違った風景を描き始める。そこにはまるで、何かが失われた場所から、新たな命が芽吹くような手応えを感じることができる。今度こそ、前を向いて走り出せそうな気がする。希望とは本来、何かが終わった場所からしか生まれ得ないものなのかもしれない。


《↓以前書いた本作のレビューはこちら》
http://d.hatena.ne.jp/arsenal4/20091005/1254756669

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