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壊れかけのレディオに希望はあるのか?〜『JUNK 雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!』終了告知を受けて

TBSラジオ『JUNK 雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!』が3月いっぱいで終了との報が、昨日の番組内で告げられた。

テレビではおかっぱにすっかり隠されている蛍原の狂気と、現時点で全媒体中No.1を誇るハガキ職人のネタが特に秀逸だった番組だけに、残念極まりない。と同時に、その不透明な終了理由がどうしても気になる。不況による予算削減策の一環である、という見方が濃厚だが、ラジオのギャラがそもそもそこまで高いとは思えない。基本的にラジオパーソナリティのメリットは「本人が自由に楽しんでやれる」「コアファンをつかめる」という二点で、だからこそあっさりと手を引く芸人も多い。

しかしたとえば『ストリーム』終了時のように、「後釜に社員であるアナウンサーを起用する」というシンプルな予算削減案はすっかり横行しているから、やはりギャランティの問題なのかもしれない。つまりは後番組に誰を抜擢するのか、である程度は判断が可能だが、少なくとも雨上がりよりはギャラの安い人が起用されるのは間違いないだろう。だがそうなると、「いや、これからの人を起用しただけだから」というような言い訳も可能だから、判断は意外と難しい。しかしラジオの場合、そもそも制作費はほとんどかかっていないわけだから、予算削減するとなればメインパーソナリティのギャラしかないだろう。そしてギャラの値下げ交渉は難しいから、必然的に新しい人を使うことになる。それは新陳代謝の形としては、美しくはないが自然なことなのかもしれない。結果として新人が育てば、それは理想的な決断だったということになる。

宮川賢は『ラジカントロプス2.0』Podcastの中で、「こういう時代だからこそ面白いパーソナリティにはチャンスがある」というようなことを言っている。それは「企画も何にもなしにただ喋りが面白い人」が必要とされるという説で、ロケもゲストもなしに一人で喋っているのが一番安上がりなのは間違いないから、確かにそういう流れは来る、というかすでに来ているのかもしれない。

と、それは確かにその通りで、すごく希望を持たせてくれる発言ではあるんだけど、その一方でもう一つの予算削減案としてある「社員(局アナ)の起用が異様に増える」という事態のほうがどうにも心配なのである。局アナの中から選ぶとなると、あまりに選択肢が狭すぎるし、いくらなんでも確率が低すぎる。そんなにラジオ向きな面白さを持つ人がたくさんいる母集団とも思えない(中には安住アナのように意外とラジオ向きの人もいるが)。

もちろんそれだけでなく、たとえば深夜3時台のラジオがほぼ音楽垂れ流し状態に堕しているように、「適当な曲とそれを繋ぐ当たりさわりのない喋りさえあれば埋め草になる」という発想が拡大する可能性もある。音楽をラジオで聴く必要のまったくない現代において安易にそういった選択肢を取るのは媒体の死期を早めるだけだと思うが、予算的な意味では本当に背に腹は代えられぬ時期に来ているのかもしれない。

僕は幼稚園児のころからラジオを聴いて育ってきているので、本当にラジオがないと困る人間になってしまった。だからラジオの今後に関しては無理にでも希望を見出したいのだが、すでに家庭からラジオ受信機が消えつつある(とっくに消えている?)今、やっぱり「面白い」というところにいったん立ち戻る必要があるように思う。だがそれはもちろん理想論。となると、「面白いものが残ってつまらないものが消える」という健全なシステムを準備する必要があるのだが、たとえば今のラジオの聴取率調査というのがそういうシステムとしてきちんと機能しているのかどうか。

通販と宣伝曲と局アナの声しか聞こえないラジオにだけは、なってほしくない。


宮川賢のラジカントロプス2.0』
http://blog.jorf.co.jp/radio/

『JUNK 雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!
http://www.tbsradio.jp/ame/index.html

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