そもそも「焼く」って表現がだいぶ怪しいと以前から感じていたのだが、CD-Rの話である。英語でも「burn」と言うらしい。「jealousy」だとなお良かった。
焼くときに、失敗が起こり得るというのはもちろん広く知られているところ。だがむしろ失敗したときの方が、焼けちゃってるんじゃないかと思う。むしろ何かしら焦げちゃってるんじゃないかと。
念のため盤面を見て、焦げてないのにがっかりする。失敗したのなら、失敗を目に見える形にして提示する義務が、失敗者にはあるのだ。そうしないと思い切って捨てられない。外見が新品同様では、捨てるこちらに罪悪感が生まれる。「スタッフ全員でおいしくいただきました」みたいなテロップを、入れないといけないような気がしてしまう。
しかし言い訳する相手がいないので、ただ黙って捨てるしかない。このへんのプロセスのなさが虚しい。「キレイな顔してるだろ。死んでるんだぜ、それ」と南に呟く達也の気持ち。そんなことはないが。「焼く」という言葉はいかにも死者にふさわしいが、この場合ややこしいことに焼けていれば成功であって、焼けてないものが失敗=死なのだ。
自分のパソコンの場合、焼けた焼けないの判断は、まずその作業を完了したCDが、トレイから出てくるか出てこないかによるらしいと最近気づいた。焼きに失敗したCDはすっかり引きこもって、トレイ開閉ボタンを押そうが何しようが出てこなくなってしまう。なんという短絡的な行動であろうか。
失敗してしまって「みんなにあわせる顔がない」から、「もう俺なんてどうせ誰も必要としていない」から出てこないあいつ。そんな妙に人間的で、しかしあまりに典型的すぎてあざといほどの反応を示すなんて、ちょっと許せるような、より許せなくなるような気もする。仕方ないので再起動するとひょっこり出てくる。
さらに今回発見したことがひとつ。僕は50枚入りのスピンドルなやつを使っているのだが、となると50枚のCD-Rが重なって収められているわけで、もちろん上から順々に使っていくことになる。
で、最初の40枚くらいはまったく、ビタ一枚たりとも失敗はなかったのである。そのためにちゃんと国産のものを買ったのです。
しかし、残り10枚に差しかかったところで、失敗が3枚続出した。残りは4枚であるから、6枚中3枚、つまり5割の確率で失敗したことになる。この追い込みは一体どういうことか?
考え得るのは、「もしかして下の方に不良品をこっそり混ぜ込ませているのではないか」ということである。最後まで使い切る人が少ないからなのか、最初調子に乗せとけばあとは笑顔で許してくれるとでも思っているのか。
いやもちろんそんなことはわからない。みんなキレイな顔してはる。失敗しても堂々とキレイな顔してはる。相変わらず見た目では区別つかないのが罪深い。あいつにゃとってもかなわない。
もちろんCDレコーダーのほうの疲れとかPC様のご機嫌とか、なんか湿度とか気温とか、もしかすると世界情勢とか花粉の飛散時期とか真矢みきの声の出具合とか、いろいろな原因が考えられるといえば考えられる。特に考えなければ考えなくて良い。
とりあえず焼き芋が食いたい。