泣きながら一気に書きました

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現代アメリカン・ヘヴィ・ロックへの過小評価とグランジの罪

「アメリカン・ヘヴィ・ロック」というジャンルは、日本でもっとも過小評価されている音楽領域のひとつである。その過小評価の流れは、おそらく90年代グランジ勢に対するリアクションの延長線上にあるだろう。いまアメリカを席巻しているヘヴィ・ロック勢、たとえばSHINEDOWNやDAUGHTRYNICKELBACKあたりの音楽(NICKELBACKはカナダ出身だが)には、どんなにキャッチーなメロディが内包されているとしても、その根底にはグランジ以前にはありえなかったヘヴィネスが厳然と横たわっている。

そのヘヴィネスの奥に隠されたメロディの源泉を探りあてること、その作業に、日本人はあまり慣れていない。簡単に言えば、日本人にとってアメリカ人の発する重さは、常に重すぎるのである。現代を生きるアメリカ人にとって、戦争や死はかなり身近なところにあるが、いまの日本人にとってそれらは遠く、だからこそひどく重く感じられる。戦争や人の死を当たり前のように歌詞に織り交ぜ、楽曲の重さにもそれをコンスタントに反映させてくるアメリカのヘヴィ・ロックが、日本人にとっていちいち重すぎるのは、あるいは当然のことなのかもしれない。彼らの音楽には、強度がありすぎるのである。

あれだけ世界を席巻したグランジ旋風も、日本ではNIRVANAの人気のみに終わった印象がある。それはその音楽的魅力以上に、カート・コバーンの死という衝撃が、万人に聴く耳を持たせた結果であると言えるかもしれない。その証拠に、アメリカでは常に比較対象に挙げられるPEARL JAMALICE IN CHAINSSOUNDGARDENも、日本で充分な評価を得たとは言い難い。

グランジ勢は、日本ではジャンルの狭間にすっかりはまり込んでしまっていた。純正メタルファンからは「いい加減な演奏をする非メタル」として無視され、一般ロックファンからは「うるさいからメタル」とのレッテルを貼られ敬遠されていた節がある。結果として、彼らの音楽に優れたメロディが宿っていることに気づく聴き手は少なく、「重くて暗い」という印象ばかりが残った。

それに対し、そこを通過して生み落とされた現代アメリカン・ヘヴィ・ロック勢のやっている音楽には、重さはあるが暗さはない。むしろ牧歌的と言ってもいいほどに優しい歌メロがしっかり根づいていて、いっそ癒し系と言ってもいい。そこは日本のメタル系リスナーにとっても一般ロックリスナーにとっても、宝の山であるのは間違いがない。しかし現実には、来日公演はいっこうに行われず、日本盤は出なかったり半年遅れだったりの不遇状態。依然として日本人の中には、「重さ」に対するアレルギーが残っているのだと思うが、そろそろその奥にあるメロディーに耳を傾けてみないかと、片っ端から訴えていきたい気分である。

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