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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

『1Q84』/村上春樹 追記

村上春樹の『1Q84』はたしかに力作なのだが、今という時代において彼の言葉から匂い立つ「致命的なダサさ」についての批判がなさすぎると感じている。相変わらずのレモンドロップ&自作サンドウィッチといい、ジャズやクラシックを賛美しロックを無条件に見下す姿勢といい、タイトルの駄洒落感といい。格好よさの基準が圧倒的に古い。

ある意味では、そのダサい風俗描写を違和感なく生かすために、1984年という設定を使ったのだと思う。たしかに還暦の作家にとって、いま現在の文化を描かないという手法は、あるいは賢明な選択肢なのかもしれない。実際、下手に今風の萌えキャラ(「ふかえり」という略称センス自体がすでに古い)を導入したことによって、より感性の古さが際立ってしまっている部分も見られる。だが「今」よりも「書きやすい過去」を選ぶというその選択肢は、歴史小説家ならばともかく、現代文学の担い手としては少々頼りないスタンスだと思う。

もちろんそれ以外にも、1984年を描く必然はあるのだろうが、実のところそこに描かれている「格好よさの基準」が『1973年のピンボール』からまったく代わり映えしないことを考えると、そこには現在を描くことに対する自信のなさをどうしても読み取ってしまう。つまり村上春樹が描き続けているのは70年代前半までに形成された彼の価値観であり、そこから何ひとつ更新されてはいない。

いやそれが悪いと言っているわけではない。そうやって自ら作り上げた方向性を保ち続けることで人気を獲得してゆくアーティストはたくさんいるし、それは否定されない限り変える必要はないのかもしれない。

むしろ気になるのは、本作の読者たちが、いまさら彼の提示する70年代的な格好よさに、本当の意味で共感しているのかどうか、という点である。普通に考えれば古いとしか言いようのないその描写を、「逆に新しい」と感じている人がいるのか、あるいは「あの頃は良かった」的なノスタルジーに浸っているのか。年配の人たちの書評(というか、年配じゃない書評の書き手が少なすぎる)を見ると、どうやらその古さには気づいていないようで完全スルーに見えるのだが、普通に今の文化を吸って生きている人間にとって、この古さは絶対に引っかかる何かであるはずなのである。「ピンクセーター肩掛けプロデューサー」がもはやコントにしか出てこないというのを理解している世代の人間にとって、この作品全体がコントに見えているか否か。僕はところどころの風俗描写を、失笑しつつコントとして距離を取って読んだが、正面から本作と向き合っている読者にとって、そういった古さが興醒めを引き起こさなかったのかどうか、とても気になっていたり。

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