泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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『OCTAHEDRON』/THE MARS VOLTA 『八面体』/ザ・マーズ・ヴォルタ

この圧倒的な静けさを前に、「進化」や「新境地」といった言葉をつい使いたくなるが、そういった印象は言葉として便利なだけで、実際のところ非常に疑わしく、何も言っていないに等しい。

たとえば本作が、RADIOHEADにとっての『OK COMPUTER』であるかと言えばそうではなく、あそこまで本質の部分から根こそぎ変貌を遂げた作品ではない。『OK〜』はそれまでのRADIOHEAD自身をも裏切るような、いやそれどころか、結果としてロック・シーン全体をも転回させるような進化形だったわけだが、本作にはそこまでの本質的変化はなく、メロディにしろリズムにしろ、確実に過去の延長線上にある。

これはもちろん、「進化しているからいい」とか、「進化とは言えないから悪い」という話ではない。個人的には、RADIOHEADはロック然としていた1stが最高傑作で、『OK〜』以降の彼らは好きではないから、ロックには常に何らかの進化は必要であるとしても、その任務を自分の本当に好きなアーティストに担ってほしいかというと、あまりそうは思っていなかったりする。そういう意味で僕は、RADIOHEADの境地を目前に見ながらも、その手前でしっかりと踏みとどまったTRAVISのほうが好きだ。この2バンドの音楽的距離感は、メタル方面にたとえるならばMETALLICAMEGADETHの関係にも似ている。

本作は、本質の部分で過去と変化がないという意味において、彼らにとって分岐点になりうるレベルの作品ではない。もちろん、ロック・シーン全体を揺るがすような作品でもないだろう。

単純に言えば、スピードを大幅に落とし、展開を少なくすることで、これまでになく全体の体裁に気を配った作品である。もちろんそれ以外にも、いろいろと試されていることや、その結果として生まれている魅力(たとえばセドリックの歌の際立ち具合)はあるのだが、やはりどう好意的に捉えても、全体のテンション・ダウンという明確な弱点と引き替えにはできない。

バックの演奏陣の奇抜さが抑制され、楽曲展開を減らしたことにより、歌メロがいつになく明確に打ち出されているのは事実だが、同時に手持ちのメロディのバリエーションが少ないことも露呈してしまっている。「驚き」よりも「美しさ」を重視した楽曲たちは、だからといって新たな側面を提示しているわけではなく、単に前作までとはバランスが逆転している、といった印象でしかない。そういう意味では、もともと本作がアコースティック作品になる予定だった、という事実が示すように、これはおそらく例外的な作品であって、新境地などではないと捉えるべきだろう。

デビューの時点ですでにロックの進化形を提示した彼らには、もうこれ以上の新境地は必要ないのかもしれない。彼らが依然として本質を保ったままであることは、ファンにとってはむしろ好ましいことだ。だからこそ本作をメインディッシュではなく、サラダ的なサイドメニュー作品と捉え、早くもおそらくはそう遠くない次作における激情炸裂を期待してしまうのだが、果たしてどうか?

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