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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

『ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人』

ゲーム

長篇ストーリーを構成するうえで必要不可欠なのは、何よりもキャラクターという軸である、ということを痛感させられる作品である。キャラ同士の出会いと別れに必然性があり、本来は個々に別々の目的を持つ彼らそれぞれの意志が絶妙にクロスオーバーしながら、ひとつの大きな渦を作り上げてゆく。それがこの手のRPGの醍醐味であるだろう。

その点、本作のキャラ設定は、長篇を支えきれる強度を持っていない。主人公にしろ、サブキャラにしろ、どうも個々の繋がりが弱く、プレーヤーの感情移入する入口が設けられていない。

パーティーの組み合わせにもまったく必然性がなく、誰とも知れぬ3人と旅を続けてゆくのは、思い入れがないぶん熱くなるものがない。死んでも生き返らせればいいや、という気にすぐなるし、別に他の誰かと交換してもらってもいい。ゲームの自由度を優先した末の選択であったのかもしれないが、冒険において重要なのは、実のところ「何をするか」「どこへ行くか」と同じくらいかあるいはそれ以上に、「誰と行くか」が重要な要素であり、好きでない人とともに行く旅は、どんなに良い場所であろうがどんなに崇高な目的があろうが行きたくない。川島なお美が言うように、「ワインは何を飲むかもあるけど、誰と飲むかが重要」(見事にうろ覚え)という言い方は、あらゆる物事に当てはまるのである。とはいえなお美とは飲みたくないし、彼女の場合「誰と」じゃなくて「誰を」なんじゃないの?と突っ込みたくもなるから好きではない。

キャラが弱いという話であった。ひとつの理想としては、きちんと関係を持ったキャラとパーティーを形成してゆくという『Ⅳ』の形があるが、あれはあれで仲間を集めていく過程がまどろっこしく、序盤は人数が少ないので寂しくもあったし、もちろん自由度も低い。それに対して『Ⅴ』のようにモンスターを仲間にするシステムは、出会いとはいってもただ偶然に会って倒すというだけのナンパ的な軽薄さを伴うのが弱みだが、いちおうは自分の手でつかまえたという昆虫採集レベルの思い入れは生じる。もちろんこちらのほうが組み合わせの自由度は高い。

それらに比べると、本作の「任意で仲間を選べる」というシステムは、あまりに手応えがなさすぎる。つまり彼らはどんな状況でも選択可能(=捨てることも可能)な単なる「傭兵」であって、そこに思い入れの生じるチャンスはまったくない。せめて仲間との出会いには何かしらの必然性が欲しいし、それが無理ならばモンスターを仲間にするときのように、「タイマン張ったらダチ」的な、ヤンキー的なこぶしの友情だけでも欲しいものだ。

ストーリー的な側面に関しても、全体の繋がりの弱さが目につく。個々のエピソード形式が似通ってしまっているというのは毎度のことだが、それはそれで信頼がおける形でもあるので、わざわざ指摘することではないだろう。問題は各エピソードがどのように有機的な繋がりを見せてくれるのか、という一点である。

通常ならば、それぞれのエピソードから要素を拾い集め、ひとつの大きな物語に収束してゆくという形になる。だが本作においては、ラストに絡んでくるのは主にひとつの街で起こったエピソードのみで、その他の街で起こった出来事は後半にはあまり関係がない。つまりは、物語上において数多のエピソードを羅列した上で、その中の一つだけを拡大してラストに結びつける形をとっており、構成としてその他のエピソードが死んでしまっている。『ドラゴンボール』にたとえるならば、最後に集める元気玉は、それまでに関わってきたすべての人からもれなく元気をもらって作り上げなければならない。それはストーリーのラストを飾る以上、すべてを集約しなければならないからである。だが本作の最後に鍵を握ってくるのは、あるひとりの、しかも主人公とは関係の薄い人間の想いであり、それがどんなに崇高で美しいものだったとしても、ストーリー全体を集約しているとはとても言えないスケールの小さなものでしかない。結果として、ストーリー全体が妙に小さいものに見えてしまい、プレーヤーは充分なカタルシスを得ることができない。なんだそれまで関わってきた様々な人々との交流は、結局のところあまり重要ではなかったのかと。

最後に、すでにさんざん批判の対象になっている妖精キャラについて。ああいう安直な「萌えキャラ」を入れて人気取りをしようという風潮は、漫画やゲームはもちろんのこと、すでにどこの世界にも蔓延していて、村上春樹も『1Q84』において堂々とやってしまっているほど。しかし「萌え」というジャンルは、常にそればかり考えてきた人にしか理解しえない強固な地盤がすでにあって、安易に手を出そうものなら必ず間違える危険な領域なのである。それは簡単に言えば個々人の好みの領域であって、そんなバラバラなものを最大公約数的にまとめあげるのがどんなに奇跡的に難しいことか、みんなわからずに導入しすぎている。「萌え」とは基本的にユーザー側が勝手に発見する要素であって、それを作り手側が積極的に提示することは、片手間ではとうてい出来ないことなのである。やるならば最低でも、本気でそればかりやる覚悟がなければ。そうでないと本作のサンディのような、渡辺徹の関西弁なみの違和感を感じさせる的はずれなキャラが生まれてしまうという悲劇が起こる。

以上に挙げたような問題点は、もちろん『ドラクエ』以外のゲーム全般にも言えることであって、もっと言えばゲーム以外のあらゆるエンターテインメントにも当てはまることだと思う。むしろ『ドラクエ』の場合、最近のRPGのなかでは、これでもかなりいいほうだろう。どちらかというと、今のゲーム業界全体の流れが、徐々に『ドラクエ』をも侵食してきている、と考えたほうが正しいかもしれない。そういう意味で『ドラクエ』シリーズは最後の砦であり、だからこそ期待も大きくなる。事実、これ以外にプレイすべきゲームを見出せないのが多くのユーザーの現状であり、本作の売れ行きもそれを示していると言えるだろう。他に勧めるソフトもないので、これだけ言ってもお勧めの一本ではある。

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