泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

     〈当ブログは一部アフィリエイト広告を利用しています〉

『バクマン。』3/大場つぐみ・小畑健

ここに来て急速に面白くなってきた。前巻までのレビューで指摘した問題点は、何ひとつ解決されないままに。このぶっちぎり具合はむしろ頼もしい。問題点をちまちまと一つ一つ修復してゆくような対処療法は、完成度を上げることにはなっても、実のところ面白さには直結しないことが多かったりする。

…と、すっかり冒頭から言い訳めいているが、前巻レビューの最後に書いた「このまま加速を続けた先に何があるのか、どうにも気になる」というのが、つまりはこの面白さにつながっていたということだろう。とりあえずそういうことにしておきたい。

自転車でいえば、漕ぎはじめのギクシャクした重さをようやく過ぎ、漕がずともぐんぐん進む時期に突入する時期なのだと思う。だがこの作品の場合、すでにスピードに乗っているのに、まだまだ漕ぎ続けている感触がある。「無展開恐怖症」とでも言えるほどに、物語を容赦なく転がしてゆく強引さ。雪の上をスノボーやスキーで鮮やかに滑って進むのではなく、ごろごろと転がって気がつけば巨大化しているような。

これまで最大の問題点であった「主役二人のキャラの弱さ」がここへ来てあまり気にならなくなってきたのは、特に何らかの対策が講じられたわけではなく、単に読者とのつきあいが長くなってきたことによるものだろう。ある程度の情報量が打ち込まれれば、よほどでない限り、キャラへの感情移入はできるようになる。現実の人間同士のつきあいを考えればわかるが、数ヶ月行動をともにしていれば、どんなに平凡なキャラもかなりのレベルで把握できるものだ。

だがそれは、あくまでも1話目からコンスタントにこの作品につきあってきた読者にのみもたらされる感覚であって、それ以外の読者には、問題点は問題点のまま残されたままだ。つまりは、たまたまいまジャンプ本誌からこの作品を読みはじめた人にとっては、やはりこの主人公キャラの弱さは大きな障害になるだろう。奇しくも本作に描かれているとおり、何よりも本誌のアンケート結果が連載の生死を分けるのならば、途中から入ってくる新規読者を獲得しない限り、順位は下がる一方で回復する見込みはない。だからキャラの導入に失敗した作品の場合、物語途中のなるべく早い段階でキャラの再構築を行う必要があるのだが(そしてそれはものすごく難しい)、その気配はいまだ感じられない。

そもそも主人公へ感情移入させるのにこれだけ時間のかかっている作品が生き残っているのが驚異なのだが、それは繰り返し言っているように、強靱な展開力という第二エンジンをフル稼働させているためだろう。それはつまり意外性の連続ということでもあるのだが、ここへ来て浮かび上がってきたのは、物語の展開だけでなく、キャラにも意外性が盛り込まれてきているという点である。

特に魅力的なのは、明らかに嫌な奴だと思われていたサブキャラの良い面がクローズアップされる場面で、その二面性が人間的な深みにつながっている。キャラに二面性があるということは、そのキャラの表と裏をひっくり返すだけで展開が自動的に生まれるということでもあり、つまりはキャラの意外性が展開の意外性をも生みだすことになる。結果として、もともと備わっていた縦方向の物語展開力に、横方向のキャラクター展開力が加わり、縦横無尽にローリングする展開が可能となっている。

願わくば主役級キャラの二面性をもっと打ち出せればと思うが、いまのところそれに成功しているのはサブキャラのみで、すでに安定してしまったキャラを変えるのがいかに難しいかということがわかる。そこにはもちろん、「主人公=善人」というセオリーがある以上、その裏側の汚い部分を描くのが難しい、という事情もあるだろう。そのセオリーをぶっちぎったのが『DEATH NOTE』だったわけで、そこでは大場つぐみ特有の二面性を主人公に至るまで存分に行きわたらせることができたのだが、今回は主人公がセオリーどおりであるためそうはいかないという、ある種のジレンマを感じてしまう。

スタート時のキャラパワーで引っ張るタイプの竜頭蛇尾作品が跋扈する少年誌フィールドの中で、それとはまったく違う箇所に駆動力を持ったこの高速展開力は新鮮な魅力を放つ。だがそれはまた、少年誌読者に訴えかけるど真ん中の豪速球を持たずに勝負するというリスクを背負っているのも確かで、物語の主題になりつつある「王道対邪道」というテーマは、この作品自体が内包している問題でもある。

Copyright © 2008 泣きながら一気に書きました All Rights Reserved.