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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

『EMBRACE THE GALAXY』/RICHARD ANDERSSON'S SPACE ODYSSEY 『エンブレイス・ザ・ギャラクシー』/リチャード・アンダーソンズ・スペース・オデッセイ

◆どうせかっこいいなら、おもしろいほうがいい

本当にかっこいいものは、笑えるようにできている。

これはジャンルを問わずあらゆる物事にあてはまる真理である。たとえばかっこよすぎる男は必ず笑える。もし笑えないとしたら、その男のかっこよさが中途半端であるということだ。過剰なものは必ず笑えるし、かっこよさとはつまり過剰に秀でているということだから、それは笑えて当たり前といえば当たり前の話だ。

かっこよさの裏には常に滑稽さが貼りついている。いやむしろ、滑稽さこそがかっこよさを支えているのかもしれない。あるいは逆に、かっこよすぎると面白くなってしまうというのもある。

たとえば昔、『森田一義アワー』つまり『笑っていいとも』を「アベちゃん」の愛称で親しまれるモデルが席巻した時期があった。もちろん阿部寛である。当時の彼は、メンズ・ノンノのモデルとして人気を博し、「かっこよすぎる男」として憧れられると同時に笑われた。もちろん『笑っていいとも』に出ているのだから、観客は存分に彼を笑っていいのだ。

彼はやがてモデルとしての旬を過ぎ、ただ「かっこいい」と言われるだけの仕事は激減、失意の日々を送る。そこで彼はこのままではいけないと思い立ち、芝居の勉強をはじめ、本格的な役者への道を改めて志す。そして、モデル時代には考えられなかったおかま役など、種々多様な役柄をこなすうち、やがて彼は自分に内在していた滑稽さを自覚するに至る。

『いいとも』に出ていたころの彼はその自覚なく笑われていただけであって、おそらく自分のどこがそんなに喜ばれているのか不思議だったろうと思う。だが彼は求められるままに役柄をこなすうち、自分が滑稽な存在であることを積極的に認め、そういった側面を前面に出すようになってゆく。そして彼は新たな段階の、滑稽さに裏づけられたかっこよさを身につけ、人気ドラマ『トリック』をはじめ、コミカルさとクールさという相反する要素を同居させた幅広い演技で再ブレイクを果たすことになる。

だがそれはつまり、阿部寛自身が滑稽だというだけではなく、彼は人間はもれなく滑稽な存在であると気づいたのだと思う。自分だけが滑稽であるという認識ならば、おそらく本人はその滑稽さを恥じ入って隠そうとするだろう。だが全員がそうだとすれば話は別だ。むしろ隠しているほうが不自然で滑稽なことに思えてくる。

そもそも、ロック・ミュージックで叫び声を上げているのは、大変に滑稽なことである。

ここまで書いてきて、言いたかったことは実のところそれだけだったりする。しかしそれを誰もが忘れ、音楽的陶酔の中で「かっこいいもの」として一面的に処理していると思うのであえて言う。いくらかっこつけて叫ぼうが悲しい旋律に乗せようが、大声で叫ぶという行為は、いつだってかっこいいと同時に滑稽なことであると。

というわけで、本作のVo.ニルス・パトリック・ヨハンソンの叫びが最高なのである。せっかくなのでどれぐらい最高かというと、ここまで僕が遠回りして書いてきたぶんの労力と、それにつきあわされて読んできたあなたの労力をなぜか足しても、なんとさらにいくばくかのおつりが来るくらい最高なのである。

しかしいくら最高の度合いを最高であると伝えたところで、何が最高なのかはいっこうに最高に伝わらないと思うので具体的に説明すると、結局のところ彼の「にょ〜!」である。

いきなり結局で非常に申し訳ないが、もうその一点に尽きるのだからしょうがない。とにかくこの歌い手、隙あらば行間に「にょ〜!」と挟んでくるのだ。そしてそれがなぜか、抜群に「おもしろかっこいい」のである。誤解してもらっては困るが、ここで言う「おもしろ」と「かっこいい」は、対立概念ではまったくない。おもしろいぶんかっこよさが減じるなどということは一切なく、むしろ相乗効果で、おもしろさもかっこよさもエラいレベルに昇天している。

ちなみに①“Despair And Pain”のサビ前、彼が「にょ〜!」と叫んでいる部分は歌詞カードでは「yeah!」となっているが、絶対にそんなことはない。誰が聴いても「にょ〜!」である。意味はもちろんわからない。

さらに彼の芸は手が込んでいて、「にょ〜!」テイストは単語内にまで浸食してくるから油断ならない。同曲の前半部において、「danger」は「でいんにゃ〜」と発語され、その後の「stranger」は「すとれいにゃ〜」と発音される。万事抜かりがないとはこのことで、この応用力にはすっかり感服せざるを得ない。いつ「にゃにぃにゅにぇにょ」が混じってくるかわからぬため、聴き手は一時たりとも耳が離せないという作戦か。

音楽的には「キーボード界のイングヴェイ」リチャード・アンダーソンが主導権を握っているため、基本的にイングヴェイのパクりフレーズが頻出しつつも、異様にパクリのセンスが良すぎてこれまた「おもしろかっこよく」なっている。実際、こちらのほうが歌がしっかり盛り上がる構成になっているため、フレーズはソックリでも楽曲の質としては上回っているものも多い。

Vo.のニルス・パトリック・ヨハンソンは、他にも自らASTRAL DOORSを率いたりWUTHERING HEIGHTSに参加するなど、それぞれでまた質感の異なるパワフルな歌唱を披露してくれているが、方向的に最もジャストフィットしているのは本プロジェクトであったように思う。

そういえば水前寺清子の必殺フレーズとして「んにゃ」というのがあったが、ということはニルスが演歌チックなのか、チータがメタルなのか、あるいはどちらも正解なのか、最終的にはむしろチータが気になりつつ。

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