泣きながら一気に書きました

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『FOLIE A DEUX』/FALL OUT BOY 『フォリア・ドゥ-FOB狂想曲』/フォール・アウト・ボーイ

Fall Out Boy - Folie ? deux

明らかに意識的なスピード・ダウンがはかられている。そこからは、パンク/エモのフィールドから卒業したいとの意志が見て取れる。だが彼らの生命線であるメロディは、やはり変わることなくエモ的なそれをキープしており、つまり根本的な魅力は失われてはいない。しかしここへ来て、そのメロディこそが足かせになってきていると感じるのも事実。

そもそもエモ系のバンドが奏でるメロディというのは、非常に喜怒哀楽の幅が狭く、バリエーションに乏しい。だがそれは必ずしも悪いことではなく、むしろそのバリエーションの少なさこそが作品に統一感を与え、全体のクオリティ向上につながるという側面もある。

「スピードの低下=楽曲の幅を広げるため」という見方が一般的には成立しているように思うが、それは速い曲一辺倒の状態の中に、そうでない曲を投じたときに起こる緩急による効果を指す。しかしこの作品においては、一気に疾走曲を減らしすぎたため、結果として緩急の効果は以前に比べむしろ減少してしまっている。中盤〜後半にかけてのミドルテンポ連打はさすがにメリハリがなさすぎる。

おそらくは楽曲のテンポを落とすことにより、旋律がより明確になり、聴き手に意図がより伝わりやすくなるという狙いもあるだろう。それはたしかに成功している部分もあって、彼らの持つメロディの良さは随所で際だっている。だが一方で、その彼ら特有の良質なメロディが、実のところどれもあまり代わり映えのしない似たり寄ったりのものであることも、同時に白日の下にさらされる結果となってしまっている。

たとえばそこに太った二人組がいたとして(唐突なたとえ開始)、必要以上に肉が付きすぎて輪郭がぼやけているせいか、あるいは目鼻口など、人を識別するためのパーツが顔の中に占める面積が少ないせいか、他人から見て二人はどうにも区別がつきにくい。そこで決意して二人してダイエットを試みたところ、揃って見事成功。贅肉が落ちて輪郭はハッキリとし、顔パーツも際立って見えて、特長が前面に出てイケメンになる。ならばめでたしめでたしといきたいところだが、結果として二人は骨格もパーツも何から何まで瓜二つであることが明確になり、それぞれが格好良くなったという事実よりも、むしろ二人が根本的にそっくりであるということが証明され、そればかりが気になってしまうようになる…(唐突なたとえ「FATBOY SLIMの巻」終了)。

つまりそんな感じなのだが(伝わってるのか肥満比喩)、たとえば⑦“(COFFEE'S CLOSERS)”のような従来路線の疾走曲は、もしかしたらミドルテンポ群のど真ん中に位置づけられたおかげで、彼ら本来の「疾走感+メロディ」の魅力がより前面に押し出された名曲であるとの印象を残す。

ところでボーナストラックがあまりに多い(7曲)のは、中だるみの原因となるのでやめたほうがいい。

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