泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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『THE SKULL COLLECTORS』/HIBRIA 『ザ・スカル・コレクターズ』/ヒブリア

2枚目のジンクスというものがある。それはもちろんデビュー作が良かったアーティストにのみ当てはまる事柄であって、スタートでコケた者たちの前にそんな贅沢な壁は登場しない。

デビュー作にしていきなり豪速球を正統派HMシーンのど真ん中に投げかけることに成功したHIBRIAにも、その壁は見えていたはずだ。あくまでもHMシーンに限った話なのが少々寂しいが、彼らにもたとえばDRAGONFORCEのように、より大きな一般ロックのフィールドで受け入れられてゆく可能性はある。

そもそもなぜ2枚目のジンクスなどというものが存在するかというと、そこには主に二つの理由があるように思う。

ひとつはデビュー作で長年蓄積してきたアイデアを使い切ってしまったことによる「ネタ切れ」。もうひとつはネタ切れを防ぐために方向性を拡大したことによる散漫さである。パターンとしては、後者のほうがより多いように思う。アイデアの枯渇はアーティストにとって何より怖いものであり、そのため予防策として幅を広げることを制作前に決断する場合が多いのではないか。

そのときアーティストにとって、フィールドを広げるというのは、まるでPCのメモリを増設するのと同等に効果的かつ根本的な問題解決法に思えるのだろう。しかし事態はそれほど単純ではない。得意でないことに手を出すのは、どんな仕事であれ遊びであれ、多くの場合得策ではないからだ。当然のごとく精度が落ち、失敗確率が上がる。当たりまえと言えば当たり前の話だ。

ところがHIBRIAはこの2作目において、楽曲の幅を無理に広げることを選ばなかった。この選択肢は非常に意外だった。それがあえてなのか、無意識なのかはわからない。だがそれはとりあえずのところ、成功している。

徹頭徹尾、疾走曲で勝負を掛けている。バラードやグルーヴ重視の楽曲にはまったく色気を見せない。その一途さが、「俺たちは好きなことしか、得意なことしかやらない」との固い意志を感じさせ頼もしさへとつながっている。

とはいえ1stとまったく同じことをやっているようには聞こえないのは、巧みというか2作目にしてすでに老練でさえある。疾走曲へのこだわりはより強固に保ちつつ、歌メロのバリエーションや曲展開にはしっかり新鮮味が盛り込まれている。「範囲内での冒険」というと聞こえが悪いかもしれないが、「長所を見失わないままチャレンジをする」というのは思っている以上に難しいものだ。

多くの場合、「冒険」や「挑戦」とは、未知なる領域への無謀なステップや苦手項目の克服を意味する。もちろんそれは有意義なことではあるが、そこに費やしたぶんの時間を、もし長所を伸ばすことにすべて使っていたらどうなっていたか、というのは常に考えなくてはいけない選択肢である。

たとえばこのアルバムにおいて、バラードがないというのは明確な弱点だろう。音楽的な弱点という意味ではなく、より広い音楽市場へと打って出るためのセールスポイントとして、バラードという武器がないのは圧倒的に不利だという意味において。

だがそれは同時に、生粋のHMファンからの強い信頼を獲得することにもなるだろう。一切の不純物を取りのぞいた本作の屈強な姿勢は、早くも頑固店主のラーメン屋の様相を呈している。彼らはすでに、味が変わると怒られるタイプの音楽としての道を義務づけられたと言える。あるいは、そんな職人道を自ら選びとったと言うべきか。

この先、道幅を広げずに進化を続けることは、どんどん困難になってゆくだろう。その点早くも次作が心配だが、現時点では理想的な2作目と言えるのではないだろうか。

それにしても冒頭から“Tiger Punch”という松島トモ子ミッキー・ロークが同時にビックリな曲名と、おっさんジャケットの激安加減は酷すぎる。そういうところがブラジルの田舎武者らしくてむしろ微笑ましい、という見方も可能だが…。

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