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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

「スピードで誤魔化せる範囲は限られる」M-1グランプリ2008総評

最終決戦の3組どころか、決勝9組中でもダントツでつまらないと感じたNON STYLEの優勝に愕然とした。

彼らのスピードと手数が評価されたと言われている。だが問題はそれがどう面白さと繋がるのかという部分である。

僕はスピード重視の漫才が別に嫌いではない。スピード重視の音楽はむしろ大好きである。

スピーディーなものを愛する人の立場からすれば、それを理解できぬのは受け手の能力が低いから、頭の回転が遅いからだと言いたがる。
だが本当にそうだろうか?

スピードは迫力増幅装置として機能する反面、その裏にあるひとつひとつのクオリティの判別を曖昧にする。

たとえば人はスラッシュ・メタルやデス・メタルのような高速音楽を聴いて、「理解できない」「どれも同じに聞こえる」と言う。だがその中にも一節ごとのメロディのクオリティは確実に存在しており、良い音楽と悪い音楽の判別は充分に可能だ。結局のところ、速い音楽を愛する人は、その速さを愛しているわけではないというパラドックスが起こる。なぜならば速い音楽を本当に好きな人は、他にも速い音楽をたくさん聴いているわけで、そうなると速さはたちまちインフレを起こし比較にならず、結局のところ一音一音の質的問題になってくるのである。

つまり速い音楽の「速さ」に魅了されるのは、その速さに耐性のない人たち、つまり初めてそのスピード領域を体感した人たちに限られる。ジェットコースターに初めて乗った人のように。そうなれば人はそのスピードの前に他の判断基準を一切忘れてしまう。景色などひとつも覚えていない。

だがスピード感を重視した手数の多い漫才というのは、別に新しいものでも何でもない。それこそ島田紳助が活躍していたころの漫才ブームの時代、多くのコンビがスピードを追求してきた。当時最も人気のあったB&Bの漫才など、ほとんど聴き取れないレベルの芸当である。

僕は今回、NON STYLEのネタほぼ100%聴き取れたし理解できた。その上で圧倒的につまらなかったのである。聴き取れさえすれば理解できるのは、ネタに飛躍がなく予想範囲内におさまる程度のボケしか入っていないので当然である。驚くほどの発想の転換などは一切見当たらない。発想の面白さよりもスピードや流れの良さを重視しているのだろうから、それは狙い通りなのだろう。

観客は彼らの狙い通り、いや狙い以上に、ボケとさえ呼べないちょっとした動き程度でも笑っていた。あれはもうノリと勢いとしか言いようがない(あるいはサクラがいたのか?)。古来日本人の大好きな「空気」というやつだろうが、プロの芸人である審査員が会場の空気などに誤魔化されてどうする。結果として、審査員である大御所芸人たちこそが、自らの笑いの基準に迷いを感じていることを逆に証明してしまった。島田紳助も番組中、審査基準に迷いを見せる発言を堂々としていた。そんな審査員が会場の空気に惑わされるのは当然といえば当然だ。

そして最大の期待はずれは松本人志だった。
彼はデビュー当時、関西伝統のスピード重視な漫才に対しただ一人、質重視、「間」重視の笑いで切り込んでいった勇者だった。それ以来スピーディーな漫才は古いもの、ダサいものと見なされ、関西でしか通用しないものとなっていった。

だから彼には、誰よりも漫才の質を見極める才覚があるはずだし、スピードに惑わされない選球眼を持っていると確信していた。しかし今回はすっかり期待を裏切られた。むしろやる気がなかったと思いたい。

ちなみに個人的にはダントツでオードリーの優勝。
しかし相変わらず面白いのは笑い飯西田の、ネタ以外の部分での発言。
「思てたんと違うー!」は「王様の耳はロバの耳!」クラスの凄まじい直球名言だと思う。

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