泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

『新しいバカドリル』/タナカカツキ・天久聖一

笑いというのは基本的に世の中の欺瞞を暴き現実をあぶり出す機能を持つ。

たとえばビートたけしは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と叫ぶことで、見事に民衆の集団心理を言い当ててみせた。それはたとえば昨今の「空気を読む」文化にまで当てはまる、日本社会の普遍的現実そのものと言えるだろう。

「赤信号のときは渡ってはいけない」という常識と、「実際には渡っている人がいて、それに吊られてさらに渡る人もいる」という現実のギャップ。そこに気づくにはまず、「本当に赤信号は渡ってはいけないの?」という根源的な疑問を持つ必要があって、笑いを生み出す力とは、まずはこの疑問力の強さによるものだと思う。

誰もが常識として受け流している日常的事象に対し、根本的な疑問を持つ力。当たり前のことを当たり前の物として飲み込まず、本当にそれが正しいのかといちいち検証する丹念な想像力。

笑いの原動力となるそういった「疑問力」が、この二人には恐ろしいほどに溢れていて、それはここ最近の表面的でインスタントな笑いの文化には見られなかったものだ。

たとえば本書の「台無しレシピ」という項目の冒頭にある説明書きには、こう書いてある。

「手際のよい料理の要領で、あらゆるものを効率的に破壊しましょう」

ここには、「レシピというものは料理を作るためのものである」とか、「利益を生まぬ破壊に要領や効率など要求されるはずがない」とか、そういう常識的発想に対する疑念が見てとれる。

そしてその疑念は、実のところ至極正しい。なぜなら現実には、料理の過程には包丁を使用した破壊行為も多分に含まれるし、ビルの解体には要領も効率も考え抜かれたプランがあるはずだからだ。

さらにその疑念から生まれたアイデアは、ありえないプロセスを辿り、思わぬ完成品へと飛躍を遂げる。その過程の凄まじさは、ある意味で凄腕のシェフを連想させるほど鮮やかに予想を裏切ってみせる。
その結果現れる完成品は、原型からは想像もつかぬ形状でありながら、素材の味は最大限に生かされている、といったマジカルな仕上がり(と言っても、素材は「笑い」、つまり「台無し」方向に生かされているわけで、むしろ完膚無きまでにその意味を「殺されている」ということなんだけど)。

また本書の見所は、その疑問のセンスもさることながら、そこから生まれたアイデアを転がしてゆく豊富な過程と、常識から大きくかけ離れた結果に向かってワープする圧倒的飛躍力にもある。
それは例えば漫才やコントなど、テレビの笑いからはるかに進化した部分であり、そして過去作『バカドリル』『バカドリルXL』から強化された部分でもある。

逆に言えば、今のテレビ的な笑いに慣れていると、その行間の跳躍力に着いていけないという危険性もあるが、本書以降、この展開力があらゆる笑いの目標地点となるのは間違いない。

事実、『バカドリル』シリーズは、これまであらゆる笑い的ジャンルから目標とされてきたのだし、本書はそれほどまでの高みを提示したと言い切れる。

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