泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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弱くはかないもの…それはスリッパ

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スリッパがすぐ駄目になるので丈夫なスリッパが欲しいが、そうなるとそれはサンダルになり靴になりはしないか。

スリッパは弱いからスリッパなのであって、強くなったらもうそれはスリッパではない。

スリッパは人をリラックスさせなければならない。なぜならばそれは人がリラックスするための場所、つまり室内で履かれるものだからであり、だからスリッパには素足感覚を邪魔しない柔らかさ謙虚さが求められる。

いや柔らかい素材の中にも、それでいて強靱な素材はあるだろう。しかしそのような無茶ぶり的二律背反を実現するような製品は、必ずや高価なものだ。

スリッパは必ず安くなければならない。人は高価なものを身につけていると、「壊してしまったらどうしよう」と考えるためそのステップが終始おっかなびっくりになり、いっこうにリラックスできないからだ。

問題はあるいはスリッパではなく、床のほうにあるのかもしれない。床がもう少し優しければ、スリッパは弱くとも生き延びてゆけるかもしれない。

と思って少し柔らかな「クッションフロアー」なるものを踏みしめたときの感触を思い浮かべてみると、どうにも不安定で船酔いするような気分になる。砂場を想像するとさらに。

やはり足元は固くなくてはいけない。あるいは「ゆとり教育」というのもこういうことなのかもしれないし、完全に喩えを間違えているのかもしれない。

考えてみれば我々は少々スリッパを甘やかしすぎてきた。ひょっとしたら生まれつき弱いスリッパだって、鍛えれば涙の数だけ強くなれるのではないか。

というわけで次に買ったスリッパは、高いところから落としたり、冷水を浴びせたり、真ん中で折り曲げて腹筋をさせたりしてみっちり鍛え抜いてから履こうと思う。

そして僕は、ムキムキのシックスパックのスリッパに足を通すことになるだろう。それこそクッションフロアーみたいで願い下げである。

ちなみに表題は「儚い」と「履かない」をかけたものだが、それに気づいたところで何の得もないうえに、現に僕はいまスリッパを履いている。もうスリッパなんて履かないなんて言わないよ絶対。

響きを優先すると、人は平気で嘘をつく。

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