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真田昌幸の遺言~『真田丸』『城塞』『真田太平記』それぞれが遺した珠玉の言葉たち~

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◆昌幸にとって唯一無二の「御館様」武田信玄の影響を感じさせる『真田丸』の遺言

先日放送された大河ドラマ真田丸』第38回で、草刈正雄演じる真田昌幸がいよいよその最期を迎えた。あるいは主人公の信繁以上に愛されていたかもしれない父・昌幸の死は、間違いなくこのドラマにおけるひとつのクライマックスであっただろう。

ところで、以前から真田家絡みの小説を好んで読んできた僕は、その昌幸がいまわの際に放つ最期の台詞に注目していた。なぜならば、この昌幸の「遺言」とも言うべきひとことが、この先の信繁=幸村の人生における、ひとつの指針を指し示すことになるからである。

そして僕はそもそも、司馬遼太郎の小説『城塞』の中で、真田昌幸が次男・信繁に遺した最期の言葉を読んだことがきっかけで、大の真田ファンになった。おそらくは『真田丸』の脚本を担当している三谷幸喜も、先行作品である『城塞』のこの部分に関しては、必ず意識してくるはずだ。さらに彼ならば、こういう重要なポイントに、きっと新しい角度をもたらしてくるはずであると、以前から密かに期待していた。

まずは今回『真田丸』で昌幸が発した臨終の言葉の中から、特に印象的な部分を引用してみたい。

病床の昌幸は、信繁に打倒・家康の秘策を滔々と語りはじめる。それを聴いていた信繁は、感服しつつもこう訊き返す。

「しかし、父上ならきっとうまく運ぶでしょうが、わたしでは難しいのでは。わたしには場数が足りません」

それに対し昌幸は、このように言い遺す。

「わしの立てる策に場数などいらん。心得はひとつ。軍勢をひとつの塊と思うな。ひとりひとりが生きておる。ひとりひとりが思いを持っておる。それを、ゆめゆめ忘れるな」
大河ドラマ真田丸』第38回)

真田丸』における昌幸は、最期に武田信玄の幻影を追うようにして、この世を去る。この言葉はまさに、彼にとっての「御館様」であった武田信玄の名言とされる「人は城、人は石垣、人は堀」の影響下にある。


◆信繁がこの先衝突する現実の壁を、言い当ててみせた先見性が光る『城塞』の遺言

しかしこの言葉は、『城塞』読者にとっては少々意外だった。なぜならば言葉の意味する内容が、一見すると真逆であったからだ。『城塞』の昌幸は信繁に、やはり家康対策の具体案を述べたうえでこう言い遺す。その言葉は作品内で形を変えて二度描写されているが、ここではよくまとまっているほうを引用する。

「そのほうは、才はわしよりすぐれているかもしれない。が、若くして九度山に蟄居したため世間にその閲歴を知られていない。だからこの策をもって大坂の城衆を説いても、たれもがそのほうを信用せぬ。世間のことは、要は人である。わしという男が徳川の大軍と二度戦い、二度ともやぶったということを世間は知っている。そのわしがこの策を出せば大坂の城衆も大いに悦服し、心をそろえてその策どおりにうごくだろう。妙案などはいくらでもある。しかしそれを用いる人物の信用度が、その案を成功させたりさせなかったりするのだ。そのほうではとうてい無理である」
司馬遼太郎『城塞』)

真田丸』に比べると、随分とネガティブに響く言葉かもしれない。「妙案はいくらでもある」と言いながら、「それはお前には実現不可能である」と厳しい現実を突きつけている。

ならばなぜそんなことをわざわざ言うのか、と信繁は思っただろう。あるいは「だから家康を倒そうなどと考えるな」と息子に忠告しているようにも見える。

だが現実として、これほどまでに世間の実態を炙りだす言葉もないだろう。そして信繁はこの先、ここで昌幸に言われた言葉の確かさを、重ね重ね思い知らされることになるのである。

この『城塞』の台詞に比べると、『真田丸』の台詞はやや希望的に過ぎるようにも感じられる。「わしの立てる策に場数などいらん」というのは、『城塞』の昌幸が指摘してみせた「実績重視」の世の中を否定、あるいは軽視しているように響く。

しかしことはそう単純ではない。言い方をまるで真逆方向にまで変えながらも、やはり僕には、この二つが同じことを言っているように思えるのである。


◆前向きな響きを持ちながらも、たしかな絶望を滲ませる『真田太平記』の遺言

その思いは、真田家を扱ったもうひとつの重要作『真田太平記』における昌幸臨終のシーンを考えることによって確信に近いものへと変わる。原作小説のほうの『真田太平記』には特に遺言らしい遺言は用意されていないが、若き日の草刈正雄が幸村役を務めたドラマ版のほうでは、昌幸役の丹波哲郎による、短いながらも印象的な台詞が遺されている。

「左衛門佐、わしに夢を見させてくれ。わしの見果てぬ夢をのう…」
(ドラマ『真田太平記』第32回)

言葉の印象としては、『真田丸』以上にポジティブなものである。だがここまで強く「夢を見させてくれ」とまでいうのは、むしろ「無理を承知で」言い放っているように聞こえやしないだろうか。そして天下の状勢的には、明らかに家康の打倒が極めて困難な状況であった。だからこそ、その難しさを十二分にわかったうえで「見果てぬ夢」として昌幸がこれを言い、聴き手の幸村もまた「無理を承知で」これを聴いている。

これはもうドラマならではの「空気感」としか言い様がないのだが、『真田太平記』における昌幸は、けっしてシンプルに息子への希望を託す言葉としてこの台詞を言ってはいない。それはもしかすると、「歴史」という結果を知っている我々だからこそ、そう思えてしまうだけなのかもしれない。

しかしそのように考えてみると、先に引用した『真田丸』における昌幸の台詞にも、その言葉ほどには強気でも希望的でもない、ある種の絶望が根底に横たわっているように感じられるのだ。

あるいは文字だけの小説とは違い、演技という見た目の要素をも多分に含むからこそ、ドラマ版の二作はあえて希望的な台詞を言わせたのかもしれない。どれだけポジティブなことを言っても、役者の表情や声のトーンによって、その印象はネガティブに変わる。そう考えて読み直してみると、『城塞』の台詞は、やや全部を率直に言いすぎているようにも思えてくる。

真田丸』によって昌幸ロスに陥っている方々には、ぜひドラマ『真田太平記』や小説『城塞』『真田太平記』にも触れてみてほしい。そこにはまた別角度から描かれた昌幸がいて、触れれば触れるほどその像は生き生きと、立体感を増して生き生きとしてくるはずだ。


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