泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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ビラ配ラーとの攻防

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受験や就活に限らず、この世のあらゆる場面では冷酷無比な「セレクション」が行われている。それは路上においても例外ではない。といってもナンパや勧誘の類ではなく、いやある意味勧誘の一種ではあるのだが、ビラ配りの話である。

駅前の路上なんかを歩いていると、ビラ配りの人つまりビラ配ラーが、あちらこちらビラを撒いている。その多くはティッシュや試供品がついていたりもするし、割引券として使えるものもある。あれをもらうのが正解なのか、もらわないのが正解なのか。それが僕にはいまだにわからない。

路上でビラ配ラーが接近してくると、こちらの脳内では、「これはもらうべきなのか? もらうべきでないのか?」という迷いが瞬時に巻き起こる。

いや正確にいえばむこうから接近してくるというよりは、むしろこちらから接近してしまっている場合が多いが、それはあくまでも向こうがこちらの目指しているルート上に配置されているからであって、決してこちらの積極性を意味しない。このへんは3Dマップ上を駆けるタイプのRPGにおける、モンスターとのエンカウントを思わせる。

現実にはRPGと違ってビラ配ラーを倒す必要はないし、むしろ倒したらゲームオーバーである。だが接近した際に、「いまこのビラをもらうことで、自分に役立つアイテムが手に入るのか? もしくは何らかの意味で自身のレベルアップにつながるのか?」という判断がこちらに働いているという意味では、そう遠い喩えでもない。

効率よく経験値を稼げるモンスターは、形式上は敵ではあるし実際に戦闘も起こるが、先のことを考えると貴重なスパーリング相手、つまり自分にメリットをもたらしてくれる味方であるともいえる。『ドラクエ』中盤のレベル上げが必要な場面で、何よりもはぐれメタルとの遭遇が待ち望まれるように。

とにもかくにも、こちらは歩きながらビラ配ラーを間違いなくセレクションしているわけだが、こちらが相手を選んでいる場合には、また相手もこちらを選んでいるというのが世の常で。実はこの「選んでいると同時に選ばれている」というインタラクティブな状態が、事態を相当ややこしくしている。

もちろん向こうにも選ぶ権利があるのは当然で、それは向こうが何らかの商品を売るためにビラを配布しているからである。商品であるからにはターゲットとなる消費者がおり、標的外の人間にビラを配るのは損失でしかない。女性向けの化粧品サンプルが、男に配られることはまずない。

つまり受け手であるこちらとしては、視野に入ったビラ配ラーに接近するまでの数秒のあいだに、「その商品あるいは商品情報が、自分の役に立つか、ゴミになるか」を判断しつつも、「向こうがそれを自分という人間に売りたがっているかどうか」をも同時に判断しなくてはならないのである。

たとえば後者をサボッた場合、ちょうどティッシュが欲しいと思ってティッシュをもらいに手を出すと、そのポケットティッシュの裏に入っている広告が明らかに女性向けの内容であったため、完全に無視されて差し出した手を引っ込めるタイミングを見失う、というような救いがたい悲劇が起こる。

さらにこのいずれの判断をも難しくしているのは、配布物の物理的な「小ささ」である。いやより正確に言えば、「安さゆえの小ささ」と言ったほうがいいかもしれない。

路上で配布されているものは、基本的に無料である。無料であるということは、やはりどうしても小さいものである場合が多い。そして小さいものというのは、圧倒的に視認性が低い。こちらはある程度離れた位置から、手を出すべきか出さざるべきかをいち早く判断しなければならないのだ。ここはハズキルーペCMの渡辺謙のテンションで、「世の中の配布物は、小さすぎて読めない!」と激怒してもいい。

あるいは1.5リットルのコーラを配っているのであれば、それがコーラであることはかなり離れた位置からでもわかる。それが欲しい人はもらいに寄ることができるし、欲しくない人もスルーの判断は容易だ。ただしこの場合、そんなに重くて飲みきれないものを誰が持って帰るのか、という別の問題は発生するが。

しかし配布されるのが3センチ四方くらいのビニール素材のパッケージであったりした場合、それが何であるのかを判断するのは非常に困難である。フリスクである場合もあれば、女性向け化粧水である場合もある。もしかすると薄さ自慢の避妊具であるかもしれない。

そんな乏しい商品情報を補佐する役割として、後方に何らかの幟旗を立てていたり、バドガール的に商品ロゴ入りの衣装を身に纏っていたりする場合もあるが、それは予算が潤沢で認知度の高いひと握りの企業に限られる。多くの場合、我々はなんだかわからない物を前に、瞬時の判断をくださなければならない。

先日駅前を歩いていると、何かしらのクーポン券を不意に受け取ってしまった。こちらに判断させる間もなく、何者かが死角からダイアゴナルな動きで忍者のように接近、気づいたら握らされていた。

それはコンタクトレンズの割引クーポンであった。その日の僕がコンタクトレンズを装着していたのは間違いない。振り返ってその忍者の様子を見ると、彼はどうやら誰彼構わず無闇に渡しているわけではないようだった。しっかりセレクションした上で、狙いをつけて渡している。

となると、彼は僕の目の中にあるコンタクトレンズの光を見抜いたとでもいうのか。カラコンでもなんでもない透明な反射光を。あるいは目の乾燥を防ぐ瞬きの回数などで、瞬時に判断する基準を持っているのか。だとしたら、瞬きの頻度でお馴染みの石原慎太郎あたりにも配ってしまうことになるのではないか。

あいつは只者ではないなと思いながら、ちょうどそろそろ買い足さなければと思っていたレンズのクーポン券に躍る「10%OFF」の文字にお得感を感じつつ帰宅。念のためその店のホームページで価格を調べてみると、「ネットからのご登録で全商品20%OFF!(その他クーポン券との併用不可)」の文字。

もらうと損をするクーポン券というものが、世の中にはあると知った。


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純眠欲

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本が好きだが本を読むと眠くなってしまう。

本をあまり読まない人は、本を読むと眠くなるのは本がたいして好きじゃないからだと思っているかもしれないが、そんなことはまったくない。本には自らのことを愛する者をも眠らせる圧倒的な力がある。となるとこれはもう、催眠術に分類したほうが良いのかもしれない。

よく寝る前に、数学や哲学などの難解な本を読むと眠れるという人がいる。内容がわかりにくかったり退屈であったりすると、脳が疲労して眠れるという理屈らしい。

しかし僕の場合、これも全然関係ない。どんなにわかりやすかろうが面白かろうが、読んでいると必ず眠くなる。そもそも、わざわざ意図的に疲れさせるほど脳が疲れていないのならば、まだ寝なくても良いのではないか。

考えてみれば本に限らず映画でもそうなのだが、映画館には「暗くなる」という明確に眠りを誘う(誘ってない)仕掛けがある。

それに対し、こちらは眼球が焼けるほど日当たりの良いカフェで本を読んでいても眠くなるのだから、これはより純度の高い、混じりっけのない「眠さ」であると言うことができる。ちなみに映画の場合であっても、面白くても眠くなることに変わりはない。ここは徹底している。

人と話していて眠くなることもあるし、デスメタルのライブを立って見ていて寝落ちしたこともある。電車の中では立っていようと座っていようともちろん眠いに決まってる。

よくよく考えてみると、眠くない時間帯のほうが少ないのかもしれない。少なくとも、「まったく眠くもなんともない」「いまベッドの上に横たえられても絶対に寝ない自信がある」という完全無欠な状態は、滅多に味わったことがないような気がしてくる。

こうなるともはや夢遊病というか、むしろ寝てる状態のほうがメインの世界で、起きていま見えているほうがサブストーリーというか夢ということになるのかもしれない。夢がリアルでリアルが夢で。RPGでメインスクエストが全然進んでいないのに、途中に現れたどうでもいい釣りやすごろくのミニゲームを延々やっているような人生……。

結局何が言いたいかというと、一対一で話しているときに僕が眠そうな顔をしていたとしても、それは相手の話がつまらないからではなくて、内容とは無関係に単に眠いだけの人なんだという厳然たる事実だけである。あくびを噛み殺した表情を見抜かないでもらいたい。

つまり「面白さ」や「つまらなさ」の尺度に、場違いな「眠気」という単位を持ち出すのはアンフェアであるということだ。

今日よりこの「純粋な眠さ」を「純眠欲」と名づけ、「純愛」「純文学」「高田純次」などと同じく、以後高尚なものとして取り扱ってもらえたらこれ幸いである。あるいは高田純次のように、瞼の上に目を描けばいいのか。


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理想的な「三曲」を求めて――メタル史上最強のトリロジー(三部作)ベスト10

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音楽を聴取あるいは評価する単位として一般的なのは、言うまでもなく「曲単位」か「アルバム単位」だろう。特にアプリやYouTubeで聴くことが増えている昨今、その比重はだいぶ前者に寄ってきているのかもしれない。

しかしそんな「単位」は、あくまでも商品としてリリースされる際の便宜上のものにすぎない――と言ったら明らかに言いすぎだが、だとしたら他の評価単位があってもおかしくはないのではないか?

もちろん当該アーティストのリリース楽曲すべてが「捨て曲なし」であるのが理想だが、そんなことがまずあり得ないというのは、ある程度音楽を聴いてきた人間ならば誰もが痛感している。万が一あったとして、その「捨て曲なし」の中にもいくらかの優劣は必ず存在するわけで。

これは完全に個人的な経験則だが、僕の中には「最高の曲が三曲続けば奇跡」という感覚がある。なぜ三曲なのかはわからないが、もしかすると楽曲の問題ではなく、こちらの集中力がそれしか持たないということなのかもしれない。

しかし昔から「トリロジー」(三部作)という言葉があるように、「三」という単位には必然的な何かがあるような気がしている。良い曲が二曲続くことは珍しくないし、逆に四曲となると稀すぎて、そのうち一曲くらいは弱めの曲が混ざっているのでは?とつい訝しんでしまう。

というわけで、今回はあえて「三曲」という単位で名曲が連続する作品を挙げていこうと思う。

とはいえこれは厳密に「トリロジー=三部作」というワンセットの組曲を選ぶわけではなく(そもそもそういう「作り」の楽曲は少ない)、わりと単純に「良い曲が三曲続いている状態」を選ぶということにしたい。

該当する三曲の「流れ」はある程度考慮に入れることになるが、三曲の内容的な「関連性」や「つながり」は特に重要視せず、あくまでも各楽曲のクオリティに重点を置く。では。


10位『GENESIS』/TALISMAN
②「Comin’ Home」③「Mysterious(This Time It’s Serious)」④「If You Would Only Be My Friend」

Genesis: 2012 Deluxe Edition

Genesis: 2012 Deluxe Edition

北欧特有の美旋律と北欧離れしたグルーヴと小洒落たアレンジの妙。
ストレートな疾走曲②からややグルーヴィーな③、そして小粋なギター・アレンジが光る④へ。
徐々にひねりを増しながらもメロディに芯が通っているため、クオリティにブレはない。

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9位『CRIMSON』/SENTENCED
⑤「Broken」⑥「Killing Me Killing You」⑦「Dead Moon Rising」

Crimson

Crimson

全編絶望的な雰囲気に包まれたアルバムの核をなす三曲。
壮大な⑤のイントロから、哀しみのどん底にある⑥を経て⑦の遠吠えへと至る死のプロセス。
曲名内の単語にも「Broken」「Killing」「Dead」と致命的なものが並ぶこの徹底された統一感。

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8位『THESE DAYS』/BON JOVI
②「Something For The Pain」③「This Ain't A Love Song」④「These Days」

These Days

These Days

ブルージーな②、渋いラブ・バラード③、ノスタルジックな大作④。
カラフルな時期を経て現れた、モノクロームで土臭いBON JOVIの姿。
むしろここにこそ彼らの本質を見る。

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7位『COUNTDOWN TO EXTINCTION』/MEGADETH
⑥「This Was My Life」⑦「Countdown To Extinction」⑧「High Speed Dirt」

Countdown to Extinction

Countdown to Extinction

⑥で立ち上がった重さが⑦で儚い旋律を身に纏い、⑧のスピードをもって爆ぜる。
圧倒的な重苦しさの中で、終始メロディアスであろうとするバッキングのギターが生きる。

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6位『HEADLESS CROSS』/BLACK SABBATH
②「Headless Cross」③「Devil & Daughter」④「When Death Calls」

Headless Cross

Headless Cross

完璧な美しさを持つ②から躍動感のある③で得た勢いを④の重さで完膚なきまでに撃沈。
トニー・マーティンの伸びやかな歌唱と、コージー・パウエルの深いドラム・サウンドが描き出す荘厳な世界観。


5位『METALLICA』/METALLICA
②「Sad But True」③「Holier Than Thou」④「The Unforgiven」

Metallica

Metallica

②の物理的な重さが③のスピードで濾過されて④の精神的な重さへと変質してゆく。
スピードと引き替えに重さを手に入れたと言われた当時のMETALLICAが、一時的かつ効果的にスピードを取り戻し活用してみせた場面。

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4位『WILD FRONTIER』/GARY MOORE
①「Over The Hills And Far Away」②「Wild Frontier」③「Take A Little Time」

WILD FRONTIER

WILD FRONTIER

祖国のアイルランド民謡に立ち返る悠久の①、そこから闘いの意志を湧き起こす②、そして都会的なアレンジを見せる③へ。
唯一無二の特徴的旋律が、徐々に普遍的なロックへと接近してゆく配合比率の推移。


3位『THE PRIVILEGE OF POWER』/RIOT
⑤「Dance Of Death」⑥「Storming The Gates Of Hell」⑦「Maryanne」

The Privilege of Power

The Privilege of Power

バランスを無視して何もかもをフルパワーで注ぎ込んだようなスピード・メタル・チューン⑤⑥二連発の衝撃。
完成度という意味では名盤『THUNDERSTEEL』に軍配を上げるが、瞬間の煌めきはこの二曲のほうが上かもしれない。

そしてその二発のあとに待ち受ける「普通にいい曲」⑦。
いやこれがほんと、ある種RIOTでなくてもいいようないわゆる「いい曲」なのだが、前二曲の着地点としての役割を完遂するその献身的姿勢と、やはりメロディの質の高さで実に沁みる。


2位『TRAPPED!』/RAGE
②「Solitary Man」③「Enough Is Enough」④「Medicine」

trapped!

trapped!

まるで「Jアラート」のような不協和音が人を不安にさせつつ強烈に惹きつける②、誰がどう考えても思いつきようのない複雑なリフに取り憑かれる③、妙にタメの利いた不思議な疾走感を持つ④と、他との圧倒的な違いを見せつける三連打。
この三曲を聴くだけで、RAGEが他のアーティストとは異なる文法を持っていることは明白。
史上最も「替えがきかない」三曲。


1位『LIONSHEART』/LIONSHEART
⑤「Can't Believe」⑥「Portrait」⑦「Living In A Fantasy」

Lionsheart

Lionsheart

この三曲は本当に完璧だ。
しかし最高の楽曲が三曲も続いても、アルバム全体が良いとは限らない。そんな苦い逆説的教訓を孕んだ三曲でもある。
この三つの名曲に反して、アルバムには捨て曲が少なくなかった。他にも佳曲はいくつかあったとはいえ。

だがそれでも、この三曲が実に素晴らしいことに変わりはない。
歌メロ、リフ、アレンジ、ソロ、すべて痒いところに手が届く。
ロディアスな⑤とスピーディーな⑦で荘厳な大作⑥を挟み込む構成も、非の打ちどころがない。

軸となるのはやはり⑥で、発売当時、ラジオ『POWER ROCK TODAY』で初めてこの曲を耳にした時には、「DIOもしくはWHITESNAKEジョージ・リンチとイングヴェイ・マルムスティーンが奇跡の同時加入でもしたのか? だとしても、ロニー・ジェイムズ・ディオとデイヴィッド・カヴァデールがフュージョンしたようなこの歌は何事だ?」と大いなる衝撃を受けたものだ。

その後の来日公演ではメイン・ソングライターであるオウワーズ兄弟が脱退していて散々であったが、それでも名曲は遺る。
ましてやそれが三曲も続くとなれば。こんなに素晴らしい時間帯はない。

ちなみにアルバム1曲目が恐ろしくつまらないので、そこで「諦めないで!」と僕こと真矢ミキティーがZARDを口ずさみながら強く応援している。
(さらに言うと、続く②はCOVERDALE・PAGEくらいの凡曲、③の疾走曲でようやく「もしかして?」となるが、④でまた「やっぱり駄目か」と元の木阿弥に。最強の三曲までの道のりが、遠い)


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